再帰性の牢獄――自己再生産的な傷

虐待やいじめでは、外傷的要因が外界そのものにあるが、ひきこもりでは、「底の抜けた再帰性」が外傷のメカニズムに関わる。 流動性を過剰にせき止めようとする、強迫的で無際限の再帰自己批判。 欲動興奮的でも侵襲破壊的でもない*1、「終了できない自己批判*2自傷的ドライブ。

    • 現実を現実でなくしたい」という苛烈な夢
    • 現象経験を「合理化・必然化・人工化」し尽くそうとする
    • 自分の確保した現実を流動化しないように死守する、その死守が強迫化している

――こうしたことが、現実逃避そのものを形作る。
外界や他者への憎悪と恐怖。







*1:この区分は『外傷性精神障害―心の傷の病理と治療』の岡野憲一郎氏による。

*2:「終了できない自己批判」は、けっきょく現実的には自分を批判していない。 「無限の自己批判」のアリバイにおいて、メタに自分を温存している。

「当事者ナルシシズム」

ひきこもりにせよ何にせよ、「当事者」という言葉の周辺にはつねにナルシシズムの臭気がある。 ▼「哀れなほど 真実を知らないプロレタリア」というつぶやきで締めくくられる『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』第2話「飽食の僕 NIGHT CRUISE」*1では、「正義感ナルシシズムに満ちた誇大妄想」に耽る「不特定多数のうちの一人」が描かれる。
しんどい状況にあって、ものを考えようとする者がつねに矮小に取り憑かれてしまうナルシシズム。 ▼「当事者ナルシシズム」と呼ぶべきものを単に否定するのではなくて、冷静に観察と分析の対象にする必要がある。 【このことは、論者一般に対して考え得るはず。】
ナルシシズムは、メタ的・社会的な考察がすごく難しい。 でも、政治や経営の統治スキームにとって、無視できない要素のはず。*2







*1:地上波では欠番

*2:大野正和氏は、「自己愛が、いかに現代の仕事観に影響しているか」(自己愛型仕事倫理)について検討中とのこと。

フロイト「ナルシシズム入門」

フロイト著作集 5 性欲論・症例研究』から少し引用。

 誇大妄想はおそらく対象リビドーの犠牲によって生じてきたものである。 外界から撤収されたリビドーは自我に供給されたのであり、こうしてわれわれがナルシシズムとよぶことのできる一つの態度が生じてきたのである。


 激しいエゴイズムというものは罹患を防ぎはするが、しかしついには病気にならないために相手を愛しはじめねばならず、また拒絶されて愛することができなければ、病気にならざるをえない。 たとえば H・ハイネ(H. Heine) が世界創造の心理過程を想像して歌っている次のような範例にしたがって――


         病こそはたぶん、創造のあらゆる
         衝動の究極の根拠であった。
         創作しつつ私は治癒することができたし、
         創作しつつ私は健康になった。


 われわれは、われわれの心的装置のなかにはとりわけある一つの能力があって、もしそれがなければ苦痛に感じられたり、病原的な作用をいとなんだりするであろうようないくつかの興奮を処理する任務がこれにあたえられている、ということを知っている。



「症状を生きる」こと。
「治す」のではなくて。