斎藤環氏の講演より(情報ピックアップ)
私のメモに基づくもので、もちろん発言者校閲はないし、文脈によって意味も変わってしまうので注意。【黒太字の「カギ括弧内」が斎藤氏の発言】
- 斎藤氏がブリーフ・セラピー(短期療法)*1を紹介していたのは意外。
- 「ひきこもりは、家族対応が50%以上。本人が動き出したらあとは方向付けはしない」
- ひとまずこのように言うしかない。▼当事者本人としては、自由な倫理的選択の環境整備をされてしまうわけで、かえって厳しくもあるはず。
- 「放置や放任につながるので、《わかったつもりになる》のはまずい」
- 家族によるコミュニケーション回復のための提案として、「《挨拶・誘いかけ》、《お願い事》、《相談事》」
- 当事者は、見下すべき存在ではなく、「親が相談事を持ちかける相手である」ということ。
- 「当事者による親への感情は、《恨み半分、感謝半分》」
- ここは補足が必要だと思う。▼親に感じてしまった「感謝の念」は、100%そのまま「罪悪感」に転化してしまうのだが、これが非常に支えにくい。親に感謝を感じても、自分が元気に社会生活を送っていれば「給料でプレゼントを買う」などの行動が起こせるが、ひきこもっている現状では、まったく何もできない。→ 完全な無力の中での感謝の念は、自動的に罪悪感になる。 そこで親の顔が見れなくなるのだが、それは親からすれば「無視された」となる。
*1:(1)今、うまくいってる時は何もしない。 (2)かつてうまくいったことがあれば、またそれをしてみる。 (3)今、うまくいってなければ、やめてみる。
「就労しない自由」
講演の質問時間に、学校教員になることを志望している学生から、「ニート増加などが言われているが、教師としてどうすればよいか」という趣旨の質問があった。それへの斎藤環氏の返答。(大意)
「人間は就労しない自由もある」ことを、教育現場で伝える必要がある。
さらに続けて、「就労しないで生き延びる方法を考える」云々。
次のような実例が紹介された。
ある家庭では、ひきこもっている子供にマンションを買い与え、「毎年100万円×30年間」の提供を親が約束した。
経済事情も違うし、契約の細部はもちろん各家庭で違って当然だが、これが親子間での《交渉》の実践であることに注目したい。▼実際にこんな金額を提供できる家庭ばかりではないわけだが*1、宿泊型の支援団体を利用すれば、(たとえばある団体では)年間300万円かかるから、あり得る選択肢の一つとしてはじゅうぶん検討可能だと思う。▼現実問題として、「一生働けない」という人は多いはずだ。
*1:貧しい家も多い
核心部分――《自発性》と《交渉》
《自発性》をめぐる攻防に、教育・医療・労働などの、すべての掛け金があると思う。これは、はっきり政治的な問題だ。 自発性をめぐる意見のあり方に、その者の思想が端的に表れる。 ▼ひきこもり周辺で交わされている議論は、歴史的にはどのような位置づけになるのだろう。