id:about-h さんのバランスある大事な指摘(必読):
に付け加えて。
僕は社会学やフィールドワーク方法論については素人なのですけど、実際に取材をしたりされたりする現場の人間として気付いたことをいくつか。(今後も順次追加予定)
id:about-h さんのバランスある大事な指摘(必読):
に付け加えて。
僕は社会学やフィールドワーク方法論については素人なのですけど、実際に取材をしたりされたりする現場の人間として気付いたことをいくつか。(今後も順次追加予定)
フィールドワークに端を発するトラブルにおいては、次の2点を分けて考えるべきだと思う。
(1)オフレコ素材や改変素材を無断公表した 【オブジェクト】
(2)解釈レベルにおいて取材対象と見解が対立した 【メタ】
取材対象による素材提出時にも、一定の解釈に基づいた情報選択は働いていると思う。(意識的であれ、無意識的であれ)
「不登校・ひきこもり問題」の、支援対象としての当事者*1と、活動主体としての当事者*2。
シューレの「見解」に寄稿した2名の当事者は、自他に想定された属性としては前者のポジションにいながら、発言は政治的に機能しており、言動はすでに「活動主体」レベルにある。 貴戸理恵氏は、自覚的に「活動主体当事者」として発言を試みたわけだが、シューレからは、「(ニーズを抱える)支援対象当事者」とは見なされていないらしい(徹底的糾弾の対象になっている)。
≪当事者学≫においては、「当事者の語り」が尊重されるのだが、一人一人の当事者は、「支援対象当事者」であると同時に、多かれ少なかれ「活動主体当事者」でもある。
「支援対象」としても、「活動主体」としても、当事者同士の主張見解が一致するとは限らない。