公共安楽死施設、「自逝センター」

自殺自由法

自殺自由法

本を、とりわけフィクションを読めないはずの僕が、こんなに分厚い本を3日で読んでしまった。 2日目は1日で200ページ以上。 これは僕の人生でたぶん初めてのことだ。
それでわかった。 フィクションもノンフィクションも理論書も、みんな「生きなければならない」前提で書かれている。 僕はその脅迫的(threatening)な無言の圧力を拒絶していたのではないか。 登場人物がみな「安楽な死」を目指し、世界がそれを許容していることで、いくらでも読み進められた。
存在を≪生≫で埋めようとする強迫的(obsessive)な至上命題に倦み果て、息ができない ―― 僕の意識はいつもそんなふうに構成され、そのことが間違いなく僕の生きづらさの一端を成している。 「息のできない意識」―― これは僕の意識状態をかなり正確に描く言葉だと思う。
作品の文芸的価値がどうであるかはわからないし、「自逝センター」という設定をリアルに考えれば問題は大有りだと思うが、考えるヒントをくれただけでも大収穫。