去勢の受容

講演会での質問の失敗は、私にとって、去勢受容のきっかけになった。 どうしても言いたいことがあるのに、それがうまく言えない、恥ずかしい思いをした。 それは自分にとってどうでもいい失敗ではなく、「言いたいことがある → できない」という順番であり、単に抽象的な「成功したい」ではない*1


ひきこもりという話題は、私にとって、「殺されてでも譲れない」と本気で思えた唯一の考察テーマで、逆に言えば、そういうテーマでなければ、私は内発的に自分の誠意を構成することもできないし、まっとうに社会生活を送っておられる方々に、自分の意見を言う勇気も持てない。 私が、社会参加の努力を継続するには、この「一線を越えた思い込み」がなければ、動機づけとして無理だった。それは、私が意識的にあとから持ってきた動機ではなく、いつの間にか自分の中にインストールされていたものだ。
不登校」ではなぜか無理だった。不登校自体を肯定してしまうフリースクール系の文化は、自分の激しい否定性への欲求を満たしてくれない、というより、要するに私はあの体験に対する殺意のような情熱があまりに激しくて、安易にそれを肯定するような議論に居場所を見出せなかった。
情熱の火のないところで、去勢を語り得るだろうか。 社会順応ばかり考えたり、逆に全面肯定ばかり考えても、嘘がある。 本人すら戸惑うほどの激情を探り当て、そこに社会的な枠組み(言葉や制度の手続き)を検討すること。 それがなければ、去勢はロボトミーでしかない。 ロボトミーは、「ひきうけとしての去勢」ではない。


講演会を即座に文字化したのは、打ちのめされた機会をうまく活かそうという趣旨でもあった。 「できる必要のあることができなかった」という深い納得で、やるべきことに内発的なフレームができた。 怒りと恐怖に充満した自意識の殻が、一時的に別の形になった。
ひきこもり以外の話題では、私は断崖絶壁に囲まれて、途方に暮れるしかない。 能力がないという以前に、固執がない。 年齢的にも排除されているし、取り付く島がない。 (「取り付く島がない」というのは、なんと実感のこもった言葉だろう。)







*1:一般的抽象的労働ではなく、具体的に「これができるようになりたい(どうしてもその必要がある)」(参照)。

「再帰性という去勢否認」 → 「オブセッションとメタの維持」

再帰性は、去勢の現代的あり方と言えるんだろうか。
底の抜けた「泥沼の再帰性」(宮台真司)は、むしろ去勢否認の条件に見える。

 フロイトのモデルでは、自分の問題の所在を意識化できれば症状は軽減する。 しかし今は逆で、問題意識が高まれば高まるほど問題が大きくなってゆく。 勉強して、病理に詳しくなればなるほど治らなくなってゆく。
 情報がフラット化(Google化)した世界、つまり「再帰性の回路が広がった世界」において、オブセッションがどこにあるか。 その自分のオブセッションに対してどこまでメタを維持しているか。 (「ICC オープニング・シンポジウム」、斎藤環の発言より)

ここで斎藤は、すでにヒントを語っている*1
去勢は、「オブセッションとメタの維持」にある。







*1:失敗した質問は、これについてのものだった。

「時間化の不能」としての去勢否認

 ひきこもり状態においては、欲望は維持されますが、行為が阻害されています。 つまり、彼らは無気力ではないが、さまざまな要因によって無為であることを強いられている。 それと同時に、彼らの生活には比喩的な意味において時間が流れることがありません。 ここで指摘する無為と無時間とは、明らかに並行関係にあります。 それは、単に無為であるから時間が流れる感覚がなくなる、ということのみを意味しません。 むしろ、時間が流れることがないために、無為にならざるを得ない、と言うほうが、精神分析的にはより正確かもしれません。 (斎藤環ひきこもり文化論』 p.90、強調は引用者)

ものすごく重要な指摘。
去勢否認が、「解除不能の無時間」として語られている。 無理やり時間化すればいいというのではなく、時間化が「できなくなっている」。 とはいえそれは、本人の恐怖症的な力み(りきみ)と無縁ではない――「本人が望んで」そうなっているのか、「できない」のか(無理に社会参加してもつぶれてしまう)。 自分を無時間に封じ込める圧力に屈する。
自発性は、「無時間の解除」にあたる(時間化としての自由)。 硬直した無時間を解除することができなくなっていて、外部から「時間割」*1を強制しても、内側からの構成との絡み合いにならず、制御不能の恐怖感だけを肥大させる。 「永遠にもっていかれる」*2。 自分を管理しようとしてくる他者(制度)への完全な敗北感。
時間を正当に生きようとすればするほど、自縄自縛になる。 置かれた状況の内的構成の不能として、解離のような状態にある。
これは斎藤の指摘する「実体化」と同じ話。 ひきこもりが周囲に迷惑をかけながら幽閉される、「永遠の現在」。
去勢は、手続きに従った自己解体であり、無時間を解除する(時間化する)プロセスにあたる。 ▼「オブセッションとメタの維持」に対応して、「欲望と交渉関係」が、去勢にまつわるキーワードになる。 それをしばらく考えてみる。



*1:学校や、宿泊型の若者自立塾など

*2:物質を持っていかれるのではなく、制御感覚を。