立命館大学で、ある研究会に参加。

とても刺激的だった。僕は日頃きわどいことを言っているはずなのに勉強が足りなさすぎる。
自分なりの現場(問題・苦しみ)を持ちながら考える意義は再確認。
自分を含むいろんな方の発言をランダムにメモ。

  • 「transversalité」を「横断性」ではなく「分流」「既存の流れを変えること」と理解してみる。▼働きかける側と働きかけられる側が両方とも変わる。「固定的な両者を横断する(手を結ぶ)」ということではない。双方のあり方が変わること。
  • ガタリが無資格(薬学部中退)であることに驚く。
  • 日本の精神病院は85%が私立。
  • ラボルドの実践(制度論的精神療法)とは、「転移の生じやすい環境を作ること」?▼孤立し閉じた妄想世界を違う活動に転移させ、アクセスさせてゆく。▼「症状を持ったまま、別の活動をできるかどうか」▼「動いていなかったものを動くようにする分析」というモチーフ▼「分析」とは、自分のポジションをベタに固定化してそれと一体になって考えることではなく、自分自身をもメタ的に眺め、風通しよく対応すること?*1
  • 現場の最もクリティカルな苦しみが、最高の知的営みと切り結ぶ必要がある。苦しくなっている人を楽にするのでなければ何の知性か。
  • 「強制された自発性」*2というモチーフは、統合失調症に特徴的である「自分と他人の区別がつかない」*3とどう関わるか。
  • 帰宅後、TVで認知症の高齢者に関する番組を観る。≪不活性≫という根本的なモチーフ。「不活性であること」は、「苦しい」からまずい。「規範に照らして良くないことだから」ではない。


*1:→「分析主体」との比較。

*2:「過労死」にも関係。 【cf.:大野正和過労死・過労自殺の心理と職場 (青弓社ライブラリー)』p.55】、【参照

*3:「語らされる」という訴え