「能力や意欲の問題に帰着させること」

雑誌『Voice』2004年12月号、p.141より。

玄田 僕は経済学を学ぶ上で「物事を人の能力や意欲の問題に帰着させることに対しては、つねにストイックであれ」という教育を受けてきたんです。「働かない人が貧しいのは本人が怠けているからだ」といった単純な善悪論で解釈してはならない、と。『ニート―フリーターでもなく失業者でもなく』を出すにあたって、その教えがお守り代わりになったところがあった。

経済学に詳しい友人と喋っていて、玄田有史氏がニートを論じる時のその「論じ方」が、経済学者としてはかなり特異であるらしいことが気になりだした。

「欲望のない個人」の経済学?

というわけで、横浜イベント時の次のようなやり取りを思い出した。*1 (もちろん大意)

斎藤:「玄田さんは、経済学の専門家としては本当に珍しい。叩かれるでしょう」
玄田:「気付いてないだけ?(笑)」
斎藤:「経済学というのは、『欲望を持った個人』が前提のはずなのに、玄田さんはニートについて、『働ないのではなく、働ないのだ』とか、内面に踏み込んだ話をされます。本当に思い切ったことをするなと思うんですけども(笑)。




*1:このようにして、ご指摘を頂いたり思い出したりするたびに、本文に追加してゆきます。ご協力いただけるとうれしいです・・・。