16日は「しごとふれあい広場アメリカ村」の会議&忘年会。財源は雇用保険なので、企業利益に還元できる形でなければ社会を説得できない、と。NPOの話なども刺激受けた。


 行きしなに『13歳のハローワークISBN:4344004299 購入。「はじめに」が熱い。
 なぜか「学者」という職業の紹介が少ないのだけど、各専門分野ごとに業界事情を紹介した本があってもいいように思う(それは『別冊宝島』とかであったっけ)。素粒子論の最先端で東大と京大がいがみ合っていたなんて、僕は5年ぐらい前まで知らなかった。


 終身雇用があたりまえだった高度成長期には「イヤな仕事を我慢してする」が合理的選択だったが、雇用状況が流動化した現在では「やりたいことをやる」の方が合理的だ、という指摘。つまり、やりたくもないことを嫌々やっている人はスキルアップもできないから結局競争に負ける、と。
 総合家電的な「広く浅く」が稼げた時代は終わった、というのもよく言われる。個人も企業も「専門特化の時代」だ、と(吉野家とかマツモトキヨシみたいに)。好奇心に従って自分を先鋭化できた人間だけが生き残る。
 「好きなことをやれ」が青臭い精神論ではなく、いよいよ生き残りの戦略となったか。


 精神的動揺が激しく、ツェラン・数学・アインシュタインなどを眺めてやり過ごす。13年前にNHKで放映されて録画した『アインシュタイン・ロマン』を一部観る。
 自分の言葉のダメさ加減にますます落ち込む。
 自分は独自の優秀さを開発せねばならないのだが、それを導くのは好奇心だ。幻滅している人間は取り残される、というわけだ。



他者憎悪と自殺願望

 前日コメント欄、id:Johann さんの書き込み。

 僕の場合、人間関係全てに苦痛を感じるわけじゃなく、労働や学校などで生じる人間関係が苦痛です。何か上からものを言われる事に我慢できない上に、暴力がさらに自分の立場を危ぶめるのを知っているから、結局自分の頭の中で、自分や他の人間への憎悪が増していきます。それが煮詰まってくると「もう死ぬしかないのかな」などと思うようになります。自殺のイメージが何度もあらわれてきます。ですが、家族の事を思うくらいの理性はあるので、自殺には至れないのです。すごく辛いです。

 フーコーの「権力」論を思い出す。役職の上下関係のみならず、私たちは避け難く他者に対して権力になってしまう。「反権力」を素朴に口にする人はそのことに気付いていない(そういう人は往々にしてその人自身がひどく権力的だ)。だから僕たちは「いかにして権力を生きるか」を真剣に検討しなければならない。(ちなみに僕は、上から言われることも苦手だが、後輩やへりくだってくださる相手に「上からものを言う」のもひどく苦手だ。)
 Johann さんの言う「憎悪や自殺願望」は、多くの方にとって極めて喫緊のテーマではないだろうか。少なくとも私は深く共感した。他者に巻き込まれすぎる環境は、自殺したい環境でもあるのだ。