NHKドラマ「その街のこども」(2010年1月17日23時〜)


「若者」って言うな

以下、記事より

 引きこもる原因は、28%余りが「職場不適応」でもっとも多く、「病気」が25%、「人間関係の不信」が約22%と続く。性別では、男性が約7割を占め、年齢では30〜34歳が群を抜いて多く、44%にも上った。調査していない35歳以上も含めれば、水面下には、かなりの数の引きこもりがいることは間違いない*2
 都が行っている引きこもり電話相談の対象者は、「6人に1人以上」が40代。 50代以上からも、メール相談が寄せられている。国も今年から若者自立塾や地域若者サポートステーションの対象年齢の上限をおおむね「35歳未満」から「40歳未満」に引き上げた。



どうしてわざわざ、ネーミングレベルで「若者」とか言うのだろう。
「もう若者じゃない」という自意識がアクセスを難しくするし、行政側が「若い人しか受け入れない」と宣言してしまっている*3


「“若者”を受け入れる」という発想じゃなくて、《個人が継続的に社会参加できない》という、全年齢層を視野に入れた原理的考察や体制づくりが必要なはずだ。 決定権を持つ人たちにそれができない貧しさが、大規模な予算をかけた施策の貧しさに直結する。

 08年度の入塾者は、全国28か所の施設で、定員の1200人に対し、わずか490人。 国が「ニート」と呼ぶ無業者の推計が約64万人と言われる中で、自立塾への参加率は、たった0.1%に過ぎない。 同記事




*1:以前は『夕刊フジ』に、「引きこもる大人たち」を連載されていました。

*2:「ひきこもりがいる」という名詞形は、なくしていくべきであるように思う。

*3:事業遂行のために年齢区分は必要だとしても、「若者」という表象を用いる必要があるのか。

《つながり方》という、集団的な意思決定のテーマ

 「重要なのは、事業仕分けは、完全に公開で行われた。政府が変えるのなら、こう変えますよという納得のできる説明を国民全体にしないといけません。そして、国民が徹底的に議論し、世論をつくって政府が決めていくことが目的でもある。 0.1%へのアプローチだけだったら、若者への施策になっていないのではないかとの問いかけもある。」 仕分け人の1人、元安孫子市長・福嶋浩彦氏



《個人が参加できない》というのは、臨床場面や職場の一つひとつにおいても、「集団的に決定されたこと」という側面を持つ*1。 現場におられる方々は、ご自分の方針について、さまざまなレベルで、リアルタイムの政治説得を続けなければならない(悩む本人も)*2
社会参加に成功している人たちは、自分たちなりのナルシシズム(のスタイル)で関係を作っているから、そこに入っていこうとすると、彼らのナルシシズムと戦わなければならない。そして(これが重要だが)ひきこもる人たち自身も、関係を作ろうとすると、まずは自分の思い込みを押しつけることしかできない。
私たちの悩み方は、刷り込まれた《つながり方》をひたすら反復し、そこに監禁されている。このレベルで技法を考え直さないと、予算をかけてもダダ漏れだ。

    • ひきこもる人だけを異常視しても、逆に「社会のせい」だけにしてみても、目の前の関係に取り組んだことにならない*3。 必要なのは、自己責任とも、単なる再分配とも別の仕方で、自分なりの作業を始めてしまうことで、それは何か、“政治的な” 要因を含まざるを得ない。




*1:かといって、「なんでも全面的に受け入れる」(参照)のは、全体主義でしかないし、サステナブルではない。経済的にもそうだが、関係としても続かない。

*2:支援対象者は、環境作成者の一人だ。そのことと、「就労」を分けすぎるべきではない。集団的意思決定をめぐる交渉主体になることは、すでに社会的行為になっている。

*3:ひきこもるご本人も、「自分はダメ」という陳腐な自責サーキットで遊びすぎ。