表世界とウラ事情

社会を変えようとするときに、単発の不正や犯罪を起こさないようにするには、表向きに主張できる正義で何とかなるかもしれない。 しかしひきこもりのように、「人のつながり」をどう作っていくのかという問題では、表向きに扱える話よりも、ウラでしか扱えない話のほうが比重が大きく、そこで事情を変えられないなら、既存社会のルールに従うしかない。 実際の人のつながりを作っている水面下のルールみたいなものに抵触すると、それはもう「いないほうがいい奴」になってしまう。


ひきこもりの場合、「オタクなのか実学なのか」、「ローカルチャーかハイカルチャーか」みたいな対比よりも、「表に出せる話か、ウラでしか扱えない事情か」のほうが重要な対比ではないだろうか。 表世界に通りのいい話をいくらしても、人のつながりの決め手になるような話は扱えない。
「裏」と言っても、単に非合法云々ということではない。 ふつうに社会生活を送る人同士であっても、その関係をどういうロジックが支配しており、そこにどういう「わけありの事情」があるのかは、表の世界には出しにくい*1


私は仕事で「当事者発言」をしているが、ある飲み屋で中年の紳士に自己紹介したら、次のように言われた。

 あなたが自分の事情をぜんぶ話せるのは、(ごめんね、はっきり言うけど、) 金と権力がないからだな。 しがらみのある人間がそれをやっちゃったら、冗談抜きに消されるよ。



「社会に参加する」ために、何をすればいいのかを本気で考えるなら、こういう話こそ無視してはいけないと思う。 これは、「ゴシップを愉しむ」とかいうのとは全くちがう、臨床的な問題意識だ。



*1:私が見聞きしている業界の中だけでも、・・・・