事柄に即した言明なのか
妄想的な独り善がりなのか
閉じこもることしかできない人に自尊心を認めてあげるとは
「妄想的な自尊心に対する福祉介護」ということか。
閉じられた私的領域の権限を認めるということは
「公の場所で試練に晒されれば ひとたまりもないが、
この場では《それでいい》ことにしてあげる」ということか。
自尊心は、比較級で検討すべきものだろうか。
社会的に悪影響のある独り善がりと、
そうではない独り善がり。
自己満足的なナルシシズムで構わないと思うのか、
本当に真摯に倫理性を目指すのか。
独り善がりへの嫌悪を、内発的に経験できるかどうか。
できない存在は社会的にどのように処遇されるか。
「私的領域の確保」という話を、ひとまずそんなふうに理解すること。
逆に言えば、「公私混同」という言葉を実際的に検討する必要。
公共的であるべきものが私的であったり、
私的であってよいものが過剰に公的なものに晒されていたり。
ex. ボクシングの試合、「太っているか否か」、税金の無駄使い、「Going my way」、「ひきこもりを無理に社会参加させるな」、・・・・
- 【参照】: 個別社会と公共性
「私的領域の確保」というのは、臨床的な課題かもしれない。
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- 【追記】: 拙著 p.187、215で、私は「公共性が成り立たない理不尽さが傷になる」という話をしている。 ▼つまり引きこもりにおいて問題になるのは、「私的領域の確保」と、「公共圏の確保」の両輪ということになる。