「社会学*カフェ→それから vol.3」::「個人と組織の公共文化事業」

聴衆として参加した。

現場におられる方々のお話に、社会学的考察が掛け合わさる感じ。
特に山納洋(やまのう・ひろし)さんのお話は、現場の緊張感と知的分析のバランスが素晴らしく、いろいろメモを取った。


メモからいくつか抜き書きしてみる*1。 誰かの意見だが、「個人的に気になった論点や事実」ということで。

  • 「文化の価値」と「生存の価値」。 後者がままならないからと言って、前者をないがしろにしていいのか。
  • 良い演劇を作るためには経験を積み、人や社会を見る必要がある。 だが多くの人が30歳ぐらいで夢破れて辞めてゆく。
  • 100万円や1000万円ではなく、10万円や20万円で自分のやりたいことを試せる場所が必要。
  • 行政がクライアント(依頼者)で、市民がターゲット(受益者)であるとして、しかし両者の思惑は必ずしも一致しない*2
  • 「要求批判型無責任市民」という言葉がある。
  • 行政には、お金以外の社会的資産がある。 つまり、「社会的な信用」など。
  • 下北沢に劇場を5つも経営する本多一夫氏は、「世田谷パブリックシアター」ができたときに「何をするんだ」と言った。 民間でやれている人にとっては、公共施設は「ポールポジション」でしかない。 公共がインキュベーション施設*3を作ると、民業を圧迫する。
  • 「やりたい人」は「やれる人」ではない。 しかし往々にして、「やりたい」だけの人が決定権を持つポジションに就き、巨額の予算を使った暴走が始まってしまう。
  • 単に競争社会に乗るのではなく、「こういう形で生きていけるじゃないか」という提示があってもいい。 アジール(避難所)のような場所など。



誰かにとって予算を投じる価値のある活動は、他の人にとっては「ぜいたく」でしかない。 「どこにどれだけの予算を投じるのか」という判断は、まったく人為的・政治的なもので、そこに自分の意見を差し挟もうとすれば、険悪な論争は避けられない。 ▼あたりまえのはずのそういう事実に、リアルに直面させられたイベントだった。



*1:発言者の皆さんによる校閲は一切受けていません。 一聴衆にすぎない私の個人的なメモです。

*2:この話は、そのまま対人的な「ひきこもり支援」について言える。 クライアントは親だが、支援される当事者本人は大抵その支援を望んでいない。

*3:新規事業の孵化支援を目的とした施設