某サイトを読んでいて、自分の言葉が粗雑でダメだという感覚に苦しむ。
なんというか、文字や言葉への愛着がなさすぎ。それゆえに勉強してなさすぎ。
同時に、それゆえの自分の政治的な鈍感さというか、トッポさ、お間抜けぶりにアタマに来る。
「ひきこもり」に関連してずっと気になっていたこと。なんというか、みんな弱っちい。言葉が、必要以上に純朴で、スキだらけで、はっきり言っちゃうと「アタマ悪い」。政治的な頭の悪さ、というのをずっと気にしてるんだけど。
「嗤う日本のナショナリズム」という2ちゃんねる論(シニカルなロマン主義)が話題になっているそうだけど、こういうことがちゃんと話題にできる知性が必要なんだろうな・・・。(ところで2ちゃんのヒッキー板はどう分析すればいいのかな。ほかの板の住人よりも、「おびえている」人が多い気がするけど。)
考えれば考えるほど、「ひきこもり」に必要なもの、あるいは「ひきこもり」を考えるのに必要なものは、べんきょうであり、ことばの訓練なのだ、という気がしてくる。(行動しないために考えるのは、だめだけど。)
それが必要なのだ、と気づいたということは、何もわからずにいた僕よりは少しは成長しているんだと思う。プロジェクトがインストールされた、と思って、すこし安心したい。でもできないけど・・・・なんせ追い立てられてるし・・・・。
ミッションが必要、という気がしている。