この世への加担

▼《当事者》概念には主体化の困難と「政治の都合」が詰まっているので、解体構築で妥当な形でやり直すにはまだ数百年かかる。

▼私はもはや、暴力に加担するか、一方的に使い捨てにされる形*1でしか社会化されない――そう思い始めるとまずい*2。労働では、生活の維持管理および安全保障という面が大事なはず。イデオロギー的に傲慢すぎる自己否定に走るべきではない。生きることには両面がある…。

▼「当事者」は自分のことしか考えてない。そもそも紛争の担い手なので。


*1:これも集団的暴力への加担であり得る

*2:このまま死ぬか自殺しかないと思い詰める自己否定