娯楽小説としてとても面白く読んだ。【※以下ネタバレ注意】
思い出したのは、先日観たこの番組だった。
《なんのために生まれてきたのか、なんのために生き延びようとするのか》という問いが、それを読む自分に突きつけられる。
《復讐》がその "理由" になり得ることの確認。
生きることが復讐に局限されてしまうことそのものが "被害" の結果といえる。だとしても、復讐せずにいることが良いと言えるだろうか。
「あの子は、何のために生まれてきたんでしょう?」と文子は、絞り出すような声で言った。「謝ることが、たくさんあった。あの子は悪くないのに。精一杯、生きていたのに」 (p.261)
むしろ問われるのは、復讐のありようと技巧か。
この小説では幽霊となった女性が次々に相手を殺していくが、幽霊ならざる私たちにはどれ一つとして実行可能ではない。ではどうするか? 直接行動ではない、しかし被害と怒りを忘れていない努力を形作れるか。人生終了の近づく中で。
惨たらしく殺された彼女は、幽霊としての復讐を生きた。生身の彼女の時間は、憎悪の形成のためにあった。では私たちは?
