「時間を捨象した概念操作」と、「ナマの時間を生きる概念操作」

ようやく大事な点を整理できたと思うので、記しておく。

私たちは、
(1)時間を捨象しておこなう概念操作
(2)ナマの時間を生きる概念操作

この2つを混同したまま混乱してる。

たとえば数式や論理を扱うとき、私たちは時間を捨象してる。数学的な概念操作をおこなうとき、意識は時間のない天上界の住人のようにものを考える。
しかし自転車に乗るとき、概念操作は身体と一体化し、ナマの時間への配慮を生きねばならない。
この、「時間を捨象した概念操作」と、「ナマの時間を生きる概念操作」の関係の作り方がうまくいかなくなると、社会生活が難しくなる。