いまだに双方向的な課題設定ができていない引きこもり論

www.mag2.com

「けっきょく悪いのは引きこもる奴ら」を落としどころにしても、そういう語りそのものが事態悪化に加担してしまう。

「引きこもり」は親が養ってくれるから安心して自宅にひきこもれるのだが、親は彼らが50代になったからと言って「いい加減に働け」ということはない。
https://www.mag2.com/p/money/957411

では就職活動をして、誰が雇ってくれるのか。職歴もなく50代になった人は履歴書で落とされる。もし雇われるとしても、どういう就労環境が待っているか。

無理に自活しようとして潰れてしまい、亡くなるケースも続出しているはずだが(私の身近でも出ている)、こうした論者は死亡事例には興味を持たない。

「働け」ではなくて、ご自分の職場で引き受けるならどういう仕事があり得るか、具体的に申し出てほしい。家族会との信頼関係のなかで仲介のようなことができれば、現実味が出るはず。

「働け」と言い募る人は、「どこか私の知らないところに行って雇ってもらえ」と言っている*1。しかし雇う側は、福祉対象になる人を使い捨てればいいのか? 就労経験の豊富な人ですら転職の難しい時代に、学歴や職歴のない人にどういう採用があり得るのか。

孤立した労働力商品を優勝劣敗的な労働市場に投げ入れれば問題は解決するはず、という幼稚な幻想を捨てなければならない。この話題が扱っているのは生身の人間であり、使い捨てることしか考えないならまた別の皺寄せが生まれる。*2

いずれ働いたところで税金を納める「103万円」を大きく超えるほどには稼げず、むしろ無理に働かせることで精神科その他の医療費が増え、医療保険で税金への負担はかえって増えてないか? 親が成人した子を自宅で養うのは社会保障の肩代わりをしているのであり、それで医療機関にかからずに済むなら猶のことそういう構図になる。

とはいえ、逆にすべてを「社会のせい」にしてもどうにもならない

本人やご家族はまったく努力しなくていい、みたいな方針では無理*3。難しいのは、そこで努力の方針を設計すること。何もしなくていいとは言えないが、「こうすればいい」とも簡単に言えない。

本当に必要なのは簡単に誰かを全否定することではなく、関係者で話し合いながら手探りすることであるはずだが――そういう双方向的な努力を求め始めると、どこの陣営からも真っ先に排除されてしまう。正直、ここに絶望がある。→【私と斎藤環氏の往復書簡をぜひ読んでみてほしい。
.

  • 道徳的に糾弾したい人は憂さ晴らしをしたいだけで、「罵倒する以上は一生面倒を見る」というような覚悟はない。人命のかかった問題に首を突っ込んで暴力的にかき回しながら、最後まで引き受けるつもりはない。複数の死亡事件が起きている経緯も知らない。道徳談議こそが事態を悪化させる実態については、知ろうともしない。これは右派にありがち。*4

.

  • 弱者支援の多くは「相手の存在を弱者カテゴリに還元する」という方法であるため、《支援する側⇔される側》の双方向的な議論になりにくい。弱者側は幼児のような特別扱いを受けながら一方的にワガママを言えばいいだけであり、運動家は社会や雇用主を悪者にして終わってしまう。あまりに硬直した、あまりに定型的な語り。支援対象者は(特別扱いされることはあっても)対等な大人とは見做されていない。これは左派にありがち。

.
右派は本人や家族だけに帰責して道徳的に語りたがるし、左派は何もかも社会のせいにして本人サイドの努力課題を何も語らない――そういう強い傾向がある。

ひきこもり問題を通じて露わになっているのは、もっと大きな就労と社会保障の問題そのもの

職場が共同体機能を失ったいま、そこに参加できない個人をどうするのか。
参加できない側としては、どういう努力目標を設計すればいいのか。


ちょうどタイムリーな話題提起があった。


www.fnn.jp

首相候補が「自助」を優先的に言うことの危険はすでに指摘されているが、

なんとかして継続参加できそうな就労環境を探して努力する、それが無理なら自分でコミュニティを創り出す――そういうことに絶望すれば社会保障に期待するしかないが、新規に100万人規模を引き受けられる財源はない。*5

そうすると、たんに自助に放置するのでも、たんに公助のおカネに期待するのでもなく、自助や共助をサポートできる公助のあり方を吟味設計しなければならない。これには必然的に、自助や共助を設計し直す努力が含まれる。遠回りでめんどくさいようだが、そういうところから説き起こさないともはやどうにもならない。



*1:引き受けるとなれば大変なこともあるだろうに、それを全面的に他人任せにする語りの無責任さ。

*2:「働きに出ればいい」というだけの発想では、ずっと働いておられるロスジェネ世代の問題は扱えない。働きに出さえすればいいというだけなら、この世代はそもそも問題になっていないはず。

*3:依存症問題をどう扱うかに立場が表れる。「本人のせい」も「社会のせい」も、それだけ言っても事態改善に役立たない。「やめる」ことを自分の課題としてどう引き受けるか、それを社会環境としてどう支えていくか。ここに双方向的な議論が必要なはずだ。私はそれを、「規範ではなく技法の語りを」と定式化し、技法の語りをこそ支援していけないかと考えている。

*4:西暦2000年ごろの関西の家族会では、「道徳的に叱責し体罰をふるう父親の有害さ」がくり返し論題にあがっていた。世代的に敗戦後の貧困時代を知るせいもありそうだが(戸塚宏もこの世代)、道徳談議や体罰では事態は悪化することが多い。そもそも「とにかく殴ればいい」というような簡単な問題なら、ここまで状況は悪化していない。

*5:「現在の生活保護受給者は全世代で約213万人だが、氷河期世代が高齢者に突入するとその7割に匹敵する人数が、生活保護に依存せざるを得ないのだ。それではその費用はいったい幾らになるのか。昨年末に厚生労働省が公表した、生活保護受給額見直し後の大都市部の高齢単身世帯の生活扶助月額7万6000円と、現時点での65歳の平均余命(男性19・6年、女性24・4年)を基に推計すれば、なんと29・9兆円に達する」(アラフォー氷河期世代の生活保護落ちで 国の“隠れ負債”30兆円超えの衝撃 | 週刊ダイヤモンドの見どころ | 週刊ダイヤモンド