私たちは《紐帯≒触媒》になれるか――『デス・ストランディング』





人々が分断され孤立した世界において、つながりを作り直そうとする――そういうゲーム。作中では「人をつなぐ"縄"と攻撃する"棒"」「生者と死者のつながり」など、人類史的な話も。

2015年の KONAMI 退社前後から小島秀夫氏の顛末はすごく気になっていて、しかも引きこもり問題を考えてきた身としてこの作品はやらないわけにいかない。85時間以上かけて一通りクリアしてみて、これは本当にやって良かったし、単純に面白かった。*1

メタルギアソリッド』でステルス・ゲームを編み出した小島氏が、今度は「配送」を中心に新しいゲームをデザインし、作品世界の凄まじい設定とともに、いろんなことを考えさせてくれた。*2


以下、思いつきのメモ。(ネタバレがあります)





私は継続的な大量飲酒とひどい風邪で衰弱しきってせん妄状態に陥ったとき、たった一度だけ、非常に鮮明な幻覚・幻聴を体験したのだが(2002年4月20日*3、このとき数時間にわたって苦しめられた「洋服を着た日本兵の幽霊」の記憶を、強く呼び覚まされた。この幻覚は身体的衰弱によって引き起こされた精神医学的現象であり神秘性はまったくないが*4、明確な物語とメッセージをもち、「何か別世界にアクセスしてしまった」という強烈な印象があった。このときの日本兵とその声を代弁した老婆は、密林の中を重い荷物を背負って歩く兵士たちの苦しさをくり返し語り*5「今の日本のていたらくは何なのか、いったい何のために我々は苦しんだのか」と恨めしそうに語っていた。『デス・ストランディング』に登場したクリフと彼の周囲にいた兵士たちは、私の見た日本兵とあまりに似ていた。*6

とはいえ…、このゲームを日本の愛国心「だけ」に事寄せて語るのは、たぶん小島秀夫の趣旨にそぐわない。ゲーム内で幻覚のように体験される軍隊は米軍のようだし*7、この作品で描かれる「戦死者の無念」は抽象的で、一般的な概念として示される。

戦場の死を、あくまで抽象的に語るのか、それとも愛国的に語るのか――立場は分かれると思うが、この作品では「ビーチ」という独自の設定が私たちの思想の違いを許してくれる。各人のビーチは相互につながっていない。そして「絶滅」は、人類そのものの死だ。


この作品では、モノのように扱われる個人と、取り換えのきかない個人が印象的に対比される。兵士は消耗品のように次から次へと殺される。配達人サムは「some-one(どこかの誰か)」であり、彼の仕事は別の誰かが引き受けてもいい*8。BBは「装備」だが、名前を呼ばれ愛され、しかもBBは主人公自身でもある。登場人物は様々だが名前は「フラジャイル」「デッドマン」「クリフ(崖)」「ママー」など、一般的な英単語。全員がいわば名前すら持たない偶然的存在にすぎない、でもその一人ひとりに大切な履歴と愛情生活があり、なんらかの「つながり」があり得る…。


集団参加に失敗し追い詰められた者にとっては、「孤立」も、「これまでと同じ作法での再接続」も、死への道になってしまう。かつてつながりを断ち切った(断ち切らざるを得なくなった、遺棄された)として、そこから繋がりをやり直すなら、以前と同じやり方ではどうにもならない、「つながりかた」自体を練り直さねばならない。小島秀夫は、会社と作品を新しく作り直すことで、その細い道を通ったのではないか。*9


私じしんは、世間と引きこもり問題のあいだをつなぐ《紐帯≒触媒》になろうとしたが、実際にもたらされたのは孤立だった。私は自分の問題をかけがえのない一回性として引き受け、人とつながり直そうとしたが(それが当事者本執筆だった)、周囲にとっての私はどうでもいい利用対象にすぎず、しかも私は「ひきこもり」という一般名詞で呼ばれた(このゲームの登場人物たちのように)。つながろうとすればするほど、紐帯になろうとすればするほど、孤立は深まる。


作中にこういうセリフがあった(大意)。

  • いつか絶滅することは決まっているが、生きるとは「応急処置」を続けること。
  • 絶滅にあらがって「あがく」ことが新しいものを生み出す。



そして小島秀夫氏のインタビューより

 いまの自分があるのはKONAMIでの30年間があってこそです。KONAMIには感謝していますし、そのつながりは否定できないんです。

小島氏は、自分が居られなくなった KONAMI をたんに批判することはせず、まったく新しいものを生み出そうとして、これだけの成果を出した*10。では、私じしんが孤立の果てにもう一度つながり直すとすれば、どういう努力になるだろう。


私はこのゲームについて、いろんな人と話してみたい。小島氏とその関係スタッフ・声優の皆さんは、すばらしい触媒≒紐帯(ストランド)を、そのチャンスを与えてくれた。これをどう活かせるかは、受け取った私たち次第…。



2019年12月3日の追記

語学の勉強のつもりで英語のプレイ動画(YouTube)を観ていたら、日本語版で自分でクリアしたときより激しく泣いた。物語を最初より理解できたのと、英語で聞こえてくるドライな単語が、かえって琴線に触れたか。

自分の親が自分をどう見ていたか、自分に何を期待していたか。
その結果、今の自分はどうなっているのか。



*1:ただ、達人級の声優さんたちに交じって一人だけ棒読みの演者がいたのにえらく困惑した。

*2:やり始めて数時間は、言われるままに配送を進めるものの「何が何だか分からない」という状態に悩まされる。作品世界の設定が複雑怪奇だし、コントローラーの操作もややこしくてそのつど確認することに。しかしそれらに馴染んでくると、ハマる。

*3:酒はこの3年半後に完全にやめることになった。幻聴・幻覚のおぞましい体験も断酒を考えた理由のひとつ。

*4:こだわるならフロイト的な無意識を話題にすることになる。私はこのゲームに、無意識を覗き見られたような私秘的な結びつきを感じた。

*5:できすぎと思われるかもしれないが、幻聴のなかの老婆は本当に「重いザックを背負い…」と語っていた。

*6:幻覚のなかの「洋服を着た日本兵の幽霊」は、全身がタールのように真っ黒な泥にまみれていた。もっとも、外見よりも登場した趣旨や存在感が似ていたのだが。

*7:第一次・第二次大戦と、もう一つはベトナム戦争のように見えた。

*8:労働者の多くは消耗品のように扱われ、仕事はたいてい「別の人がやってもいい」が、愛情生活(つながり)についても同じことではないか――私たちはそういう問いに、つねに悩まされる。

*9:小島プロダクションの職場環境が既存の企業と比べてどういう事情にあるのか、とても気になる。

*10:家族や社員の人生を背負って独立し最初の作品であり、世界中から期待される重圧のなかで絶対に失敗できない、その環境であえて実験的な作品をやってこれだけの成果を出した――本当にすごい。cf.「大塚明夫、男泣き