斎藤環の特大のブーメラン:「キャラ消費で免責するな」

この記事は、斎藤氏じしんにとってブーメランとなっています。*1

斎藤環氏は、

  • 上山和樹を「ひきこもり当事者」というキャラに監禁し、それを消費することでしか関係を作れなかった(参照)。*2
  • ご自分自身が「キャラの立った精神科医」として差別発言を免責され(参照)、マーケット的に消費されている。


7年前に私が斎藤氏から受けた排除は、じつは「アパルトヘイト」だったわけです。

――曾野綾子が、斎藤環への批評の回路になるとは。




*1:これほどひどいダブル・スタンダードが歓迎される悲惨さ(参照)。

*2:リンク先の核心部分を引用しておきます。>【斎藤さんは、支援の場に発生する本当にグロテスクな中間集団の問題を、役割固定や言説のプログラムで回避している。「役割固定=観客席」への居直りは、支援される側まで含めてどの立場にも生じており、シナリオ順応的なナルシシズムの共同体を形作っています。〔…〕 8年前、当事者役割で社会参加のチャンスをいただいた私は、今は《素材化=当事者化》の要求によって、逆に排除を受けるようになっています。】(2008年10月