そこには、どんな参加ロジックが賭けられているのか

美術・批評業界への不信という拙エントリについて、
画家の永瀬恭一氏からレスポンスを頂きました(参照)。
ご多忙のところ、ありがとうございます。*1


斎藤環が選ばれたのは、「通常の読者の外に届ける」「経済的・政治的波及効果が期待されて」だろうというのは、むしろ前提でした。――私が行なったのは、まさにそうした口実のもとに人選が(ひいては議論が)ないがしろにされることへの抗議です。


岡崎乾二郎の技法論(とりわけ経験の条件というモチーフ)を必要とするのは、基本的には立場の弱い側です。システムの自動的作動ではどうにもならないので、そのつどの条件分析を尊重しないと、生き延びられない。経験の条件を考えることは、抵抗のスタイルでもあるでしょう。


私が斎藤環への反論を必要とするのは、まさに「経験の条件」を考えなければならないゆえですが――『ルネサンス 経験の条件』普及版の解説に、斎藤環が登用されてしまった。*2


今回の人選は、斎藤への反論を強いられる側を不必要に追い込むでしょう。この採用によって岡崎本そのものが、抵抗のための説明責任をあまりに過剰に弱者側に強要し、システムのロジックを反復することになるからです。


『経験の条件』解説者への登用は、斎藤じしんのアリバイとして機能し、斎藤の引きこもり論を批判する必要に迫られた側に、より大きな負荷をかける――これは、岡崎的モチーフをご自分で生きる論者を解説に採用していれば、起きなかった負荷です。(「あの解説を読んでください」で済むのですから)

    • こうなった以上、斎藤環が採用されたというその現実まで含めて、経験の条件をめぐる分析が必要だし、私はそちらに向かうつもりです。単に抗議しても始まらないし、経験の分析という以上は、その都度その場からやり直す粘り強さが問われるはずです。



しかしそもそも、斎藤環の美術論に大した普及力がないのは、『アーティストは境界線上で踊る』の失敗で明らかなはず。美術論のできる著名人が沢山おられる中で、岡崎乾二郎あれだけトンチンカンな返答をしていた人を、わざわざ解説者に選ぶ意味は何でしょう?


編集者の方々は、それでも「斎藤環ならマーケットに開いてくれる」とお考えなのでしょうか。むしろ既存文脈に適応的な理解が反復され、そこに読者の思考が監禁される――そういうところはありませんか。私は引きこもり論や技法論において、それを問題にせざるを得ないのです。


関係者は、「売れなければ困る」で頭が一杯になりすぎて、
本当の必要に迫られた論争に、そこにかかる負荷に、
興味が向かなくなっているのではないか。


「○○氏推薦!」とか、「新進気鋭の!」とかのコピーには、著者のスター化や、売れる書き手へのすり寄りがあるだけで、そういう論者たちの自己分析的な問い直しこそが問われている、という核心モチーフは、スポイルされています。


読者をもういちど耕す努力は、そこまで諦めなければいけないでしょうか。*3――これは私にとって、「社会参加をめぐる技法の回路は、そこまで閉じられているのか」という問いに重なります。



四谷アート・ステュディウム閉校問題を通じて*4



斎藤環の寄稿した文章(参照)から:

 技術を学ぶこと。それは主体の同一性の解体と再構成にほかならない。

こうしたことは、まさに私が斎藤環を批判するために、
何年も書き続けた論点だったはずです。*5
それをまるで、ご自分が最初から言っていたように口にしている。


これでは四谷アート閉校問題は、失態を犯した論者たちの、アリバイ作りの場です。(抵抗運動の大義ゆえに、個別に分析的な問い直しよりも、周囲への合流が優先される――とりわけ著名人は)


政治的大義の中では、人は「使えるかどうか」で判断される――それはしょうがないかもしれません。でもそれは、「売れないと困る」の中で、つねに反復されています。→《今は非常時だから、分析的・反省的なことができないのはしょうがない》――これがいつも言われて、それがジリ貧になっていませんか。


現状に馴染みやすいスタイルゆえに売り上げを得た作者は、さらにシステムの反復に加担し、影響力を強めてゆく――こういうことに抵抗しているのが、『四谷アート・ステュディウム』の活動であると――私は理解していました。



何に関する、どういう協力なのか

岡崎乾二郎の議論では、内と外を分ける《境界》が、
先鋭的に問われていました(参照):

 境界線というのは、たんなる抽象的なものではなく、さまざまな社会的な利害、関心、関係が絡み合った、きわめて具体的な葛藤、闘争の場であるはずですね。境界である以上は、そういう場は相変わらずある。インとアウトを分けるというのは恐ろしいことです。



『四谷アート・ステュディウム』閉校問題では、まさに
《境界》のやり直しが問われている――そう受け止めています。


最初から学校やアートの「境界」を決めてしまうのではなく、そうした境界そのものを問い直し、自分たちでやり直すような事件――この点において、大きなテーマが問われていると感じます。


私が四谷アートに興味を寄せたのは、《ここには何か、これまでにない参加ロジックがある》と感じたからでした。「誰でも何でも歓迎する」といった、ごまかしの肩組みごっこではなくて、独自の厳しさの実験に関わること。これはまさに、境界のやり直しの問題です。


「ピンチはチャンス」と考えたとき、
四谷アート閉校問題は、呼びかけられた一人ひとりにとって、どういうきっかけであり得るでしょう。単に左派系のオルグなんでしょうか。
私は、そういう問いをさせてくれる場として、あるいはやり直しのラディカルな機会として、(そういう勝手な想定の元に)この学校に興味を寄せていました。


やや挑発的にいえば、

 四谷アート・ステュディウム閉校問題は、四谷アート的な技法そのものを踏襲できた活動になっているのでしょうか。



私は今回の抗議活動それ自体を、インスタレーションのようにも受け止めています*6。これまでが「稽古」だったとして、近大からの討ち入りに、どう対処しているのか(参照)。


必要なら、協力したいです。でも単にお金や署名が欲しいだけなら、どこにでもある参加ロジックでしかないし、自分が「利用されている」と感じるだけかもしれません。私じしんが、そういう模索の中にいます。



*1:以下で少し反論めいたことを申しますが、難しい問題にわざわざレスポンスを頂いたことへの感謝の念が、大前提です。

*2:以前には、フーコー臨床医学の誕生 (始まりの本)』解説でも斎藤環が起用されていましたが――医療目線を問い直す著作の解説に、医療目線でひどく糾弾されている人物を採用することに、編集者の冷笑を感じています。

*3:ご自分で批評誌を試みている永瀬恭一氏は、まさに「諦めずに」なさっている側です。

*4:私は内部的な事情は何も存じませんし、『四谷 Art Studium』での学生や教員の経験者でもありません。寄稿された文章をいくつか読み、いまだ署名もしていない一個人としての発言です。(ストーカー問題で被害経験のある私にとって、署名に住所情報の登録を要求されるのは、たいへん大きなハードルです。)

*5:岡崎乾二郎三脇康生等を参照しながら

*6:サイト・スペシフィックならぬ、シチュエーション・スペシフィックの要因がないでしょうか。――この理解は、私自身にはね返ってきます。自分のいる場所を、シチュエーション・スペシフィックに生きられているか。