ハイデガーが、日記で『歎異抄』を激賞…?

歎異抄」でネット検索すると、↓この動画が出てきます。

 もし10年前にこんなすばらしい聖者­が東洋にあったことを知ったら、自分はギリシャラテン語も勉強しなかった。日本語を­学び、聖者の話を聞いて、世界中に広めることを生きがいにしたであろう。

これ、ネット上のあちこちで引用されてるのですが、
すべて『歎異抄』を褒めちぎるサイトで、典拠は「中外日報 昭和38年8月6日」(参照*1。 英語のエントリすら「Chugainippo, August 6, 1963」を典拠にしています(参照)。
こんなものは捏造だ、という指摘もありますが(参照)、研究者のあいだでは、もう結論の出たエピソードなんでしょうか。


真偽はともかく、関連で以下の論考に出会えたのは収穫。

ヘムルート・フェッター「後期ハイデガーと仏教の近さ」(訳・松本啓二朗*2

 〔…〕このニヒリスティックな自己理解は、「我々の時代の(しばしば認められないこともある)根本経験」を形成しているものではありますが。「終わりへの存在」とは、確かに無への関係ですが、無への関係がネガティヴなものと思われるのは、それが剥ぎ取られることとして遂行されるからに過ぎないのです。〔…〕 無への関係は άλγείν(苦しむこと)、つまり痛みの過程として遂行されるのです。その痛みの過程には、ἴασις(癒し)、つまり医者による治療、さらに言うならば、存在の開けへの導きとしての、「私が私を意志する」ということの治療が伴っています。

 存在が無として理解されてはじめて、存在は、現存在から出発する一面的な観点から、すなわち、「自我への意志」に基づく見地から解放されます。「存在=無」という等式でもって、存在には、ある広さが与えられます。それは、人間による表象の彼方で存在に属しているような広さなのです。だが無はまた、なにか特定のものとしての「無というもの」ではなく、流れ動くことです。つまり、「無というもの」ではなく、「無になること(Nichten)」なのです。

    • 名詞ではなく、動詞としての無。
    • 能動と受動(無にする、無になる)。



■身体性について:

(注23)《50年代と60年代に、最後は1968年に、ハイデガーと対話をした際に、これに関しては彼は私に、いつも強調してフランスの現象学者、特にメルロ=ポンティを参照するように指示した。そして悲しげに、「私自身は身体の問題を片付けなかった、それゆえに『存在と時間(一) (岩波文庫)』では身体問題に手をつけずにおかれた」ということを言った。》

メダルト・ボス: 以前、身体(Leib)と心(Psyche)について1965年に行なわれたゼミナールは、参加者にとってあまり満足のいくものではありませんでした。皆は、自分たちが身体的な面と心理的な面の関係をいつも同時性としてしか理解できないのは、どこに制約があるのかという点について、もっとはっきりと説明してほしいのです。〔…〕 サルトルは、あなたが『存在と時間』の中で身体についてたった6行しか書いていないと驚いているのです。
ハイデガー サルトルの非難に対して私がはっきり言えることは、身体性はこの上なく困難な問題で、当時はまだあれ以上のことが言えなかったのだということだけです。しかし、次の点は今も決定的です。どんな身体経験においても、現存在分析的な見方からすればいつも、人間が実存しているという根本体制(Grundverfassung des menschlicher Existieren)、「人間である(Mensch-sein)」とは「現をある(Da-sein)」ことであり、世界の開けの領域を――他動詞的な意味で――実存することであるという根本体制から出発しなければならないのです。〔…〕 わたしたちが身体性と呼んでいるものはすべて、最末端の筋肉繊維やまだほとんどわかっていないホルモンの分子構造に至るまで、本質的には実存することに属しています。つまり身体性は根本的には生命のない物質ではなく、出会ってくるもののさまざまな意味指示性を、対象化できずに視覚的に見ることのできない仕方で認取できる(Vernehmen-können)可能性の、つまり「現にあること」の全部を組成しているこの可能性の領域なのです。このような身体面は、出会ってくるものの無機的(leblos)および有機的(lebendig)な「物質性(das Materielle)」との交わりに用いられるべく形成されています。





■言及されている文献ほか

Japan und Heidegger

Japan und Heidegger


  • Blankenburg, Wolfgang: Phänomenologie der Leiblichkeit als Grundlage für ein Verständnis der Leiberfahrung psychisch Kranker. in "Daseinsanalyse 6", 1989




*1:ハイデガーが亡くなったのは昭和51年(1976年)ですから、記事にされたのは存命中のはずです。

*2:リンク先の右下のほうの「見る/開く」をクリックすると、PDFファイルが読めます。