理念ナルシシズムの欺瞞と暴力

「社会」「連帯」「正義」――こういうアリバイを先に立て、それとの関係で中間集団を作ってしまった人たちは、もうその集団を決して検証しない。

思考過程そのものが、手続きにのっとった還元でしかない。ひたすら、自分たちのイデオロギーを確認するような思考。ジョークのじゃれ合い。

このルーチンに乗れば、「仲間」になれる。そういう言説パターン自体がおかしいと気づくと、もうそこには居られない。*1

実際の問題事情に取り組まない*2、アリバイ作りだけの、ウソの言葉遊びじゃないか――そうすると、「政治イデオロギーありき」の集団リンチが始まる。狂信的な原理主義集団。

彼らには、「スキャンダル」という発想しかない。自己検証ではないのだ。「100%正しいはずなのに、あいつはそれができていない」――こういう幼稚な発想しかない。唯物論ではないのだ。

実際に生きてしまっている、それはうまく行っていないだろう。100%の社会化などあり得ない。で、実態はどうだったか? それを事後的に検証し、そこから技法を編み出すしかない。

彼らは、集団や意識の生産実態を考えたいのではない。ただ理念との関係でナルシシズムに浸りたいだけだ。



*1:最初は身体的違和感みたいなものだ。許しがたいトラブルが起きて、ようやくはっきりする。

*2:中間集団ができない、そこに困難があると言っているのに、どうして理念やディシプリンが先に来る? アリバイのために、意識や関係を反復してるだけじゃないか。