ダイエットについて――「形式的な」自己管理

 (1)ストレスで体重が何十キロも増えた
 (2)身体医学的に必要なのに痩せられない
 (3)いつの間にかアルコール依存に移行
 (4)体重コントロール自殺念慮と直結

――こういうことに思い当たるなら、
私が成功している 形式的禁止 という取り組み方を、強くお勧めします。
パスカルラカンの話ですが、知っておくだけでお得なはず)


参考のため、私の事情を書きます。

  • 身長170cmの男性で、10代は体重60kg前後。20代後半のストレスで急激に80kgまで増加、血圧が180突破。
  • 1年で30kg減らしたが*1、空腹で眠れないため、睡眠薬代わりに飲み始めたアルコールにはまる。*2
  • 酒量は次第に増え、可能な日には朝から飲むようになり、自殺念慮をコントロールできなくなる。

2005年に断酒を決意し、以後は体重も増えすぎず(50kg台なかば)、44歳の今に至ります。


「ダイエットの話なのに、なんで依存症の話をしてるんだ」と思われるでしょうか。
それを関連づけるのが、私の提案です。


不思議なのは、節酒禁酒は失敗するのに、断酒ならできるということ。*3
私は今、酒を「我慢」してはいません。


「痩せたいのに、たくさん食べるのをやめられない」というのは、

依存症の枠組みで捉えるのが適切ではないでしょうか。




「期限つきの我慢」という発想では、うまくいかない

ダイエットにも、

 残りの人生全体の自己管理のあり方を変える

という発想が必要です。
結果的にその一部として、体重が減ったり、酒をやめたりする。


ほかのダイエット方法を試す場合も、
「残りの人生全体に適用できるか」が、一つの目安になります。
そもそも食事の問題は、そうでないと危険です(病気や死につながる)。


「○○だけを食べる」みたいな単品ダイエットは、
栄養学的にあり得ないので、自動的にアウト。
大前提として、五大栄養素についての最低限の知識や(参照)、
大まかなカロリー計算は必須です。*4



あくまで《主観的な》自己管理であること

体重のコントロールは、いわば内側から持続させる制作過程なので、
医師や心理学者にありがちな、「客観的に、外部から」しか語れないアドバイスは、
役に立たないか、むしろマイナスに作用することすらあります。*5


本人が内側から、どうやって支えられるか が、決定的な課題です。


最低限の「科学的」アドバイスはしっかり受けるべきですが、
それは自殺念慮の前では、ガラクタにすぎません。
あくまで、持続的な作業それじたいを復興する必要があって、
私の提案する 形式的禁止 は、そこに照準しています。



ここから、ちょっとだけ飛躍に感じるかも。

何の意味もない、形式的な禁止を、
《孔(あな) として思い描くこと(参照)。
これが思いのほか、意識の技法として「使え」ます。


トポロジー的な禁止の 《孔》 を維持した上で、
そのまわりを整備するようにして、生きてみること。*6


その場合、意味は問えません。
《孔》は、意味の途絶する場所なので。
この方法では、「なぜ」に答えることを禁じます。



これは、ひきこもりについての提案と同じ趣旨です。

社会復帰は、やったところで地獄のような環境しかないので、*7
復帰そのものを自分で合理化することは、ほとんどできません。


正確に言えば、合理化の努力じたいが硬直した状態なので、
「何のために復帰するか」をやり始めると、必ず失敗します。*8


ですので、「理由を探す」という心の動きそのものを、
《孔(あな) の設定で禁じてしまう。*9


空虚感や怒り、恥ずかしさや罪悪感に襲われても、
その発作を孔の場所に位置づけてあげる。
そうすると、「やり直し」がしやすくなります。
(この準備をしないと、ものを考える作業自体が起きません)


思いつめた理由探しは、必ず破綻しますし、暴力的です。
なぜなら実体としての《意味》は、原理的にあり得ないので。
意味は作業過程として、動詞の形でしか生きられません。


――これを技法として、あるいは原理として、もう少し洗練したいと思っています。

【つづき:「存在論的ダイエット」】




*1:ジーパンに骨盤の形が浮き出るほど痩せてしまい、当時は周囲から病気を心配されました。

*2:「痩せたい」→「空腹で眠れない」→「アルコール依存」 というのは、摂食障害周辺でよく出会う展開です。

*3:《節酒》は飲酒量を減らすこと、 《禁酒》は期限つきの酒断ち、そして《断酒》は、「死ぬまで飲まない」と決めることです(参照)。

*4:おススメなのは、手帳サイズの食品成分表をカバンの中や食卓に置いて、食べるときに必ず確認すること。慣れてくると、目分量で大まかな栄養素とカロリーがわかるようになります。カロリーだけでなくて、栄養素も確認してください。食物繊維を入れて「六大栄養素」とも言うようです(参照)。

*5:偉そうに論評する「批評家」みたいなものです。制作過程にともなう内在的な困難については、まったく論じる能力がない。むしろそういうモチーフは、批評家じしんの都合によって排除されています。 「弱者の全面肯定」しか言わない PC 言説も、同じこと。知的なアリバイ作りばかりで、実際に生きるときの困難を何も扱わない(だからそこに、くだらない人生論が回帰する)。

*6:食事は、酒のように完全に断つことはできません。ですので応用的に、「孔の周辺を整備する」ように、食べることになります。

*7:いじめ、差別、苛酷な労働環境、etc....

*8:「社会復帰すれば、復讐できる」 「親孝行できる」 とか言われますが、それだけでは無力すぎて、「死ぬほうがマシ」にしかなりません。交渉関係の中で急き立てられつつ、主観性の技法も交えつつ、集団的な交渉も続けつつ・・・といった、綜合的な取り組みが必要なはずです(私は選択肢として、安楽死の可能性も排除したくありません)。 現状は単に「特権扱いする」か、単に「追い出す」か。こういうモチーフに介入すべき思想の言説が、貧しすぎるのです。

*9:ダイエットも断酒も、「なんのために」を考えると破綻します。安定的な理由なんか、設定しようがありません。現に痩せ、アルコールをやめたところで、人生はどうにもなりません。