「診断されたがり病」と、診断マニュアル依存症

人格障害という診断カテゴリは、すでに「でたらめ」と宣告されています。
以下、「DSM-5 ドラフトについて」より:

 正常人格機能と人格障碍との間には質的な区別がありそうにみえない。
 また、それぞれの人格障碍間にも質的区別がありそうに思えない。


《診断する》という振る舞いそのものを考え直さないと、
これでは社会が、医療目線の護教論ばかりになります。
あるいは専門家に対して、「診断マニュアル依存症」という“診断”が必要でしょう。*1


冒頭のマンガもそうですが、ユーザーの側でも、

 自分のことを正確に言い当ててもらいたい

という、《診断され願望》があるんではないでしょうか。 占いにハマるみたいな。


「医者が言ってるから正しい」 「マニュアルに書いてある」 「お前は医者じゃないし、もとの使用法とちがうから間違い」――こんな杓子定規の発想では、されるがままです。



今のところ精神科の言説には、身体医学と同等の専門的意義はありません。*2

バイオロジカル・マーカーがないのです(参照)。
診断マニュアルの言葉づかいは、たんに秩序に都合がいいから使われているのでもあります。*3


体の不調なら、「臓器の修理」をやればよいのですが、
精神科系の苦痛では、意識そのものの技法までが問われます。
「引き受けのやり直し」が問われるのです。


そういう照準化を阻害するような介入を、学問がやっていないかどうか。
つまり、単なる順応主義を奨励していないか。*4


支配権をにぎった言説を事後的に承認すれば良いのではなくて、
うまく行かないところから、作業の最中をやり直すようなモチーフが必要なのです。
この程度の問題意識すら許されないなら、本当に「されるがまま」です。



*1:診断マニュアルが、「利用のされ方」をめぐって自己言及的な距離を取れないでどうするのか。

*2:薬の全否定ではありませんが、精神科を利用するとは、「システムでいいカモになる」面がすごく強い。医師に言われるまま薬を飲んでいたら、大変なことになりかねません。

*3:DSM-V研究行動計画』から、あらためて引用しておきます: 《研究者たちがDSM-IVの奴隷になったような適用の仕方をしているために、精神障碍の病因研究が妨げられる恐れが生じている。なるほど、完全に記述され、完全に操作化され、世界的に受容された診断体系の価値を否定する者はいても少なかろう。それは、複数の研究間の診断的比較を推進し、診断の信頼性を向上させる。しかし、DSM-IV障碍が実体化されて疾病と同等と見なされる行き過ぎにまで至れば、それは研究結果の理解を促進するよりも阻害する確率のほうが高くなるであろう。》(p.8)

*4:多くの学問言説は、学者や医者が「業績を上げる」ためにしか役立っていません。調査対象は、業績のロジックで利用されるだけです。