すでに作り手になっていること

ご自身の HIV 感染をもとに舞台作品をつくりあげた古橋悌二氏(1995年10月逝去)に、
TV番組『News23』がインタビューしたときの映像より: http://bit.ly/Jvww3p

古橋悌二 アートという、アンタッチャブルなお城の中の作品だとは思ってないし、そのぶん、人を傷つけることもあるし、人から傷つけられることもあるし、そういう意味では、本当の意味での「コミュニケーション」の形としてのアート、って思ってます。

    • Q: なぜ「本当のこと」で舞台を作ったのか。

古橋: 演劇の中で障碍者を扱うときに、たとえばヘレン・ケラーのイメージというのは、もう出来てるわけですよね。それって、いわゆる「偏見」って言ってるもので、まあ良いほうの偏見もあるけれども、とりあえず偏見ですよね。想像の中の産物。それをもって観客とコミュニケートするっていうことの意味が、あまり僕には感じられなくて。

 誰かが作り上げてくれるとか、誰かが与えてくれるイメージを、自分が「受けて」判断することが楽なんですよね。だから、どうしてもそうしちゃうんですけど。でもそこに、本当の事件とか、本当の現実っていうのが目の前に出てきた時に、自分なりの反応とか、自分の心理的なフィードバックとかを引き受ける能力っていうのがどんどん退化してきてるような気がするんですよね。

    • Q: 傷ついたり、傷つけられたりする可能性のあるやり方じゃないですか。

古橋: ある意味では、飽きた・・・・「飽きた」なんていうと、すごく偉そうな言い方に聞こえるかもしれないけれども、でも、作品を創る、でそれを批評する人がいて、それを好む人・嫌う人がいる――みたいな、なんかその程度のコミュニケーションていうのに、どっちも飽きてるような気がするんですね。受け手も、送り手も。だから、「アート」っていう一つの職業でなくて、やっぱり自分をもっと心の底から動かす、原動力みたいなものとして捉えたい、意欲みたいなものがありますけど。



このインタビューの放映は1996年。*1
いわゆる「当事者本」として大ヒットした乙武洋匡氏の『五体不満足』が1998年10月、
大平光代氏の『だから、あなたも生きぬいて』が2000年2月。*2


黙っているのが当たり前とされた人たちが、自分の考えを自分で語ること。
そういう努力が支持されたことには、大きな意味があったと思います。
小ぎれいな知的ゲームではなく、自分の存在と命をかけた表現や、問題提起がなされること。


でも、それ「だけ」では、歪みが残ったままに思います。


ネガティブとされる属性や、機能不全への直面は、当事化を不可避にします。
とはいえそれは、発言ポジションを名詞的に実体化するような話ではない。
役割上の位置づけは暫定的だし、作業上の必要に過ぎません。


考えてみれば、現状に当事性を自覚してもらわなければならないのは、むしろ正常とされる人たち、あるいは決定権をもった人たちであるはずです。事態の再生産に加担し、恩恵を受けているのは、彼らですから。*3


多かれ少なかれ、私たちは状況制作の一翼を担っている。
マイノリティの意味で《当事者》とされた側も、そうした状況の再生産に、
(少なくとも発想の設計図を踏襲するという意味で、)加担していることがあります。


悩む本人が語るとき、たんに《告白する》というシステムは、
あるいは、ひたすらそれを待望する受け手の態度は、
そのつもりがなくても、抑圧に加担してるんじゃないか。*4
かえって大事な分析を、わからなくしていないか。


――というと、「自己責任論か?」と言われそうですが、


自己責任という、投げっぱなしの押し付けでは、自分や相手の《条件》のことは、棚上げにします*5。 分析が禁じられ、ひたすら従うことが要求される。分析というのは、ものすごい素材感をともなった、手作業の労働です。それが禁じられる。それで、そのうえで、「とにかくやれ」と言われる。技法の問い直しがありません。


それと戦うかたちで、作業を始められないか。
つまり技法の問いこそが、単なる自然ではない、人間の引き受け方になるのではないか。


今は、マイノリティを名詞化して《当事者》と呼びつける習慣がはびこり、
十数年前にはそれが商業的にも成功して、ものすごく変な状況が生まれています。


当事者とか、美術とか、なにかを区切る前に、
そもそも私たちは、《作り、作り直す》というあり方しかできないし、
その意味で、つねにあいまいな当事性を帯びています。
そこでやり直す、いわば当事化の技法を、考えなければ。



*1:番組で取り上げられた『dumb type』の作品「S/N」を私が観たのは、1996年でした(@京都)。 実験的な舞台作品を観たのは初めてでしたが、鮮烈な感銘を受けました。

*2:こうした文脈の形成にとって、1995年の阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件(およびそこから人口に膾炙したPTSD概念)が、決定的だったと思います。

*3:私も場面によっては「彼ら」の側です。

*4:構図の分かりやすい告発には有益でしょうけれど、実際の事態は、そんなに「わかりやすく」ない。

*5:条件分析に向かうことでのみ果たされる責任と、条件分析を禁じられた形で要求される責任と。この対立は決定的。