「社会は「発達障碍化」しているか」(togetter)をまとめました。
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- ひきこもり状況に必要なのは、「反復できる不連続」の方法論。
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- ところが支援では、恣意的連続性を押しつける人しかいない*1。
以下、志紀島啓氏とのやりとり:
@ueyamakzk @schizoophrenie まとめの自分の発言について一言言っておくと「機械化、動物化」は僕にとって何より「超越への志向が無いこと」ですね。もちろん超越的他者の機能=切断なので、ベタな連続性でも間違いではないですURL
2011-12-27 09:18:38 via web to @ueyamakzk
@kay_shixima ありがとうございます。よかった。「超越への志向がない」のは、選ぼうとしないというより、「なくて途方に暮れる」感じだと思うのです。導入しようとしても、うまくいかない。適切なモデルもない。
2011-12-27 16:01:39 via web to @kay_shixima
@kay_shixima それは《主体化できない》という事態になり、硬直してしまう。「スキゾ」と連呼しても、まだそれ自体はモデルや制度ではないわけで、《超越=不連続》の再導入にこそ、創意が必要だと思えてなりません。
2011-12-27 16:03:48 via web to @kay_shixima
@kay_shixima 大文字の他者を立てるのとは別のかたちで、かつ「無の主題化」よりも踏み込んだ具体性を与えて、主体化のプロセスのあり方を考えたいです。とはいえそれは、意思決定の前提となる方針まで問いに晒してしまうはず。集団としては、単なる混乱の導入かもしれない。
2011-12-28 11:27:11 via web to @kay_shixima
@kay_shixima ここでの選択こそが核心、とは思うものの、いまここで決着、という話ではあり得ませんし、残りの人生全体で取り組むような話だと思っております。こちらこそ、よろしくお願いします。
2011-12-28 11:27:42 via web to @kay_shixima
《動物化》は共時的に見ると断片化(不連続)だが、時間軸方向で見ると、のっぺりとした連続性でしかない。ここでは、主体化や集団化はうまく行かない。 各個人は「使いみちのなくなった否定性」(バタイユ)として、資本や左翼党派に使い捨てにされるしかなくなる。