しかつめらしい貞淑さは、むしろ抑圧を隠蔽する。
「原発ジプシー」(田島正樹氏)より:
この本を出版した頃から、ご自宅に頻々と脅しの電話が入るようになったということである。「家族の命はないと思え」とか、「子どもがどこかで交通事故に遭うぞ」などいうたぐいの電話である。市民個人が本気で大きな権力に挑もうとするとき、どんな目に遭うのか、 (略)
この時の経験から私は、権力が決して表向きの法秩序だけで成り立っているのではなく、必ず暴力団のような非合法的組織によって補完されているものなのだ、という常識的事実を学んだ。我々は、毎日のようにテレビの記者会見で間抜けな顔を見せている東京電力幹部たちの能面のような面構えの裏側に、暴力団の顔を重ねなければならない。
大相撲の八百長問題を取り上げたある番組で、「まぁオトナですから、みんな分かってますよね」みたいなコメントがあったが、タレントさんたちは何も言わなかった*1。
「誰のせいでもなく破綻する」まで口を挟んではいけないし、余計なことを言ったら干される(最悪は殺される)――それが当たり前なら、考えるべきことはたくさんある(左翼コミュニティだって同じことだ)。
表ウラのある社会で、どうやって参加を維持するか。きれいごとのスローガンしか言わない人は、そのひと自身がイジメや隠蔽の製造装置になっている*2。