ウラ事情にこそ、鍵がある

昨日は、NHKラジオ第1引きこもっちゃダメですか?』を聴取。


《公/私》だけでなく、《表/ウラ》を別軸で考えなければ。
生身が生き延びるには、むしろ裏事情が決定的だ。


元気な人は、「口にはできないあれこれ」で仕事や生活をしのいでいるのに、「ニート・ひきこもり支援」というと、なぜかキレイごとばかりになる*1。 実際にやれるかどうか*2は、むしろ隠された部分にある。


それは、公開では扱いにくい。では今後は、どういう割り切りが必要か*3。 言葉以前に、どこに着手しなければいけないか。――たんにウラと表を切り分け、斜に構えるだけでは、問題の根本がいつまでたっても放置される。嘘にウソを塗り固めるような事業しかできない。それだけなら、抑圧に加担することにしかならない。


表とウラを使い分ける社会性が、高齢化と引きこもりで限界に直面している*4。 家事や介護が経済社会に混ざるには*5、《オモテ/ウラ》に関する、社会的な精神分析(?)みたいな仕事が要る。 「なかったことにされていた」ものを、承認される文脈に載せてぜんぶ組み替えるような。



*1:100億円単位の企画もそっちで通る

*2:本当にヤバい問題

*3:水面下でできる議論と、外部に出せる議論に乖離があるなら、invisible な要因をどうデザインしていけるか。

*4:ひきこもり問題において、その矛盾は剥き出しになる。 それゆえ、ひきこもりの専門家を自称する人たちが、ウラと表の使い分けをベタに生きるだけで「業績」を作るのは、欺瞞的すぎる。むしろその使い分けをこそ対象化し、制度をつくり直さなければ。 ▼社会性(=仕事のしかた)こそが再設計されなければならない。

*5:ひきこもる人への扶養には、「若年者への介護」という側面がある。閉じこもることしかできなくなった人に、食事を持って行ってあげる・・・