内部化の病

本屋や図書館での立ち読み時間がいちばん勉強していたことに気づく。
この時間には完璧主義がないから、いくらでも本を読み進められる(参照)。
⇒ 家にいる時間が「立ち読み」に近づけばよい。


「家の中は過剰に家の中であり、家の外は過剰に家の外」という状態から、
「家の中にいてもあるていどは家の外であり、外でもあるていどは家の中」へ。
家の中を《あいだの時間》にできるかどうか*1


ひきこもりでは、自分のまとまりをうまく作れないゆえに*2、「内側のリアルさ」に固着する。
家の外にもういちど内部を作る支援では、また強迫観念がそこに棲みつく*3



【付記】 「内部化する勤勉さ」と、政治性を伴った分析的な勤勉さは違う。

基本的に前者でしかない受験勉強や雇用労働に抵抗するからといって、後者まで失うのは致命的。むしろ後者が前者を飼いならすべき。



*1:逆にいうと完璧主義は、すべてを「家のなか」にしたがる強迫観念にあたる。

*2:ブランケンブルクラカンが描いたことに加えて(参照)、一方的に否定される環境でも、自分をうまく構成できない。 主観性の構成それ自体が、政治的バトルを要請する。

*3:共同体は、「内部をつくる」かたちが多い。 支援団体だけでなく、会社や左翼党派、アカデミズムなども含めて。 彼らの《つながり》は、自分たちの作法を押しつけることしかしない。