家族主義的な抱え込みではなく

ドゥルーズとガタリ 交差的評伝』pp.345-6 より(強調は引用者)

 看護師としてのメアリー・バーンズは分裂症者としての《旅》をくわだて、死への退行を始める。 彼女が閉じこもる家族主義は、彼女が周囲の社会的現実を否定する方向に導く。 反精神医学は何をもたらしたのだろうか? それは家族主義的逸脱を最悪の事態にまで押しやることではなかったか。 (略) メアリー・ジョーンズ*1が必要としたのは、家族を付け加えることではなくて、社会を付け加えることだったのだ

現状の不登校・ひきこもり支援にあるのは、「党派を家族とする」という方針だけに見える。

    • 【追記】: 家族をふくむ親密圏を党派として分析する、その分析過程をつながりの重要な契機にしたい。 親密さをが期待される間柄ではたいてい、党派性の分析は忌避される。――私は、こうした「分析の抑圧」に何より抵抗したい。 さまざまな視点の分析がむしろ歓迎され合う関係を生きたい。




*1:これは誤植ではなくて、独立した個人であるはずのメアリー・バーンズが、治療共同体therapeutic communityを唱道したマクスウェル・ジョーンズの「家族となった」ということか。 ▼邦訳では、この周辺箇所でジョゼフ・バークJoseph Berkeが「ジョゼフ・ベック」になっているなど、福祉・医療界隈にチェックが働いておらず、文意をそのまま理解してよいか不安になる。