「支援」のディテールを左右する思想的立場

以前と同じ拙コメントを、一部だけ掲載いただいています。
今後は、「ひきこもり」「ホームレス」など、人と一体化しすぎた名詞形を、「ひきこもる本人」「野宿者」*1など、動詞をふくむ表現に変える必要があると思います*2。 ただ、いきなり全て変えるのも無理なので、今回は語句訂正を要求しませんでした。

 当日配られたアンケートの「あなたのお立場についておうかがいします」の回答に対しても、「国家公務員、地方公務員」や「支援者」「医療従事者」「研究機関」「教員」「家族」などと細かく選択肢はあるのに、「ひきこもり本人の項目がない」と、配慮のなさを訴える関係者もいた。

このイベントでは、苦しむ本人の声は最初から想定されていなかったようです。
《肩書き》が、社会参加の致命的モチーフであるという理解自体が、支援業界で共有されていません。 こういうディテールに、支援の思想がむき出しになります。

《肩書き=役割》は、支援事業との関係でこそ重要なのですから、たとえば「支援を受けたいと思っているご本人」などはどうでしょう*3。 過剰に気を使うのではなくて、事業との関係で位置づけが分かればいい*4


なお、文中にある「斎藤氏」は「齊藤万比古」氏のことで、斎藤環氏ではありません。
なぜこのメンバーに斎藤環氏が入っていないのか、気になりました。 私は斎藤環氏を批判した経緯がありますが(参照)、ひきこもり論に人文・哲学系の考察が必要であるという意味ではむしろ斎藤環氏寄りの立場であり、この人選がどういう方針に基づくのか、なりゆきを見つめる必要があります。



*1:生田武志ルポ 最底辺―不安定就労と野宿 (ちくま新書)』などを参照。 「ホームレス homeless」は、英語では単に「家がない」ことであり、たとえば震災後の避難民は「homeless」状態です。

*2:人を名指すのに用いられる「ひきこもり」などの名詞形は、差別を助長します。 ▼たとえば「レズ」より「レズビアン」が好ましいのも、《名詞化=モノ化》が弱まるからだと理解しているのですが。(人を傷つけるために用いられてきた名詞形「レズ」は、他者をモノ化する機能が非常に強い。)

*3:これなら、あの「偽ヒキ」論争も必要ありません。 むしろ、必要な支援が社会の側に広がって、「勤めてるけど、しんどい」人にも、恩恵が向かうべきです。

*4:そう考えると、「教員/支援が欲しい本人」など、複数回答もアリだと思います。