「そんなことをしている時間軸はない」

石飛和彦 「ハロルド・ガーフィンケルのテキストにおける言説空間設定の問題」より(強調は引用者):

 社会学の古典としてではなく、一つのテキストとして『社会学的方法の規準 (岩波文庫 白 214-3)』を読む者は、その第1章として「社会的諸事実の研究にふさわしい方法がどのようなものであるかを問うに先立って、このように呼ばれる事実がいったい何であるかを知っておく必要がある」という1文から始まる「社会的事実とは何か」なる文章が充てられていることに驚くことになる。 (略) すなわち、同書は、(略) 一つの科学の研究対象と研究方法のトートロジカルで反映的なペアを提供することによって、社会学の流通空間そのものを切り開こうとするテキストなのである。

 ガーフィンケルの著書からの引用〕: 創始者たちはプレナム*1を設計し、それによって、現実世界の諸特性について記録したり・読んだり・書いたり・収集したり・描いたり・それについて語ったり・思い出したり・印を付けたり記号化したりするというタスクにともなって、残余の世界的事物・取り置かれた世界的事物・すなわち気付かれざるままある現実世界的事柄が供給されるようになったのである。

 ガーフィンケルの空間設定はむしろ、従来の一般社会的=構成分析(constructive analysis)的空間に対して、比喩的に言うならば、さらに新たな座標軸を直交させ、いわば次元の異なる空間を「貫入」させる形でなされていると言える。



管理された精神病院で「そんなことをしている時間はない」というのは、「そんなことをしている時間軸はない」という意味だろう――という話を、知人としたのを思い出した。
デュルケムは単一的で古典的な時空間で、ガーフィンケルは「その場で単独的に生きられる時間軸を読み取ろうとする」といったら、それは意味のない比喩でしょうか。



*1:plenum ストア哲学で、物質が充満した空間 (vacuum の反対)