孔(あな)というリアリティ

読み進めていて「なんか変だなぁ…」と思ったら、私はこの本を遅くとも90年代前半には手にとって、読み解く努力をしていたのだった。 当時メルヴィン・ポルナーの「お前の心の迷いです」をB4サイズにコピーして、赤鉛筆で書き込みしながら熟読している*1。 それをすっかり忘れていた。 当時の私はこの本にピンと来なくて、「意識のなかにある現実の孔(あな)*2 」みたいな固着に戻ってしまうだけだった。 その後どんどん引きこもりがひどくなって、読んでいる自分の側が「ふつうの日常」を送れなくなる。

意識を生きようとすると、いつの間にか固着してしまう《孔》。 意識のなかにある、現実を意識することと等しくなってしまうような《孔》。 私はそれを当時、ジジェクの《対象 a 》に重ねていた*3。 今から考えるとその読解自体が怪しいのだが、ジジェクとは別に、この《孔》への固着が、とくに異性愛男性のひきこもり事例に多く見られるようだ*4。 この部分は、斎藤環氏をはじめ誰もうまく論じられていない。
底の抜けた、何の足場もない流動的なだけの現実のさなかで、意識に用意されたこの孔を確保することだけが《自分》を維持することだった。時間と空間に耐えるために、そこだけを拠り所にしていた。それは自分を引きこもりに追いやる方向でしかなかったが、他の方法が分からなかった。(どう組織していいかわからないから《孔》に固着する、その形でしか自分を再生産できないのだ)

    • ジジェクの《対象 a 》とは別に、ひきこもり系の意識の孔をとして、テーマの一つにできればと思う。




*1:ポルナーのことは知人に教えてもらったから、その知人がコピーをくれたのかもしれない

*2:最初は《あな》を《穴》とエントリーしていたのですが、「地面の穴」というより、「ドーナツの孔」のように理解したほうが臨床的にも良さそうなので、こちらの漢字にしました。 ジャック・ラカンの議論を参照したことはもちろんですが、実際に自分で考えるときにも、「無限の岩盤に穴があいてる」というイメージはあまり役に立たず、「宙に浮かんだトポロジカルな孔」をイメージすることで、それを形式的禁止の場所として理解し、“使えた” ので。

*3:批評空間』第1号から、「イデオロギーの崇高な対象」邦訳が連載中で、そこでカギとなっていたのが《対象aobjet petit a)》だった。

*4:ほかのセクシュアリティについては、自分を監禁する意識構成のあり方が違っている気がしている。 とはいえこのあたりは、ご本人たちにも伺いながら考えていくしかない。 【2010年2月7日追記】: ご自分がご自分を監禁した意識の動きがどういうものだったか、心理的にというよりはトポロジカルに描くとしたら、どういう言葉を使われますか。