2種類ある行政解剖――強制力の有無

やや長くなりますが、現役の病理医でもある海堂尊氏の『死因不明社会―Aiが拓く新しい医療 (ブルーバックス)』より、監察医制度の説明を引用してみます*1
対話している「白鳥圭輔」(厚労省の役人)と「別宮葉子」(新聞記者)は、いずれも海堂氏の小説に登場する架空の人物ですが、やり取りの内容は事実に基づいています。

白鳥: 異状死を扱うために、司法解剖警察庁)と病理解剖(厚労省)の中間的性質を持った行政解剖という制度が策定されたんだけど、その仕組みを更に二重構造に作りこんでしまったんだ。 (略) 実は行政解剖には二通りあり、ひとつは監察医制度、もうひとつはただの行政解剖なんだ。
別宮: なんで二通りあるんですか。 (略)
白鳥: 監察医制度は時代遅れだし、というのが建前。 お金がかかるから、というのが本音*2。 (略) 「医療事故調査委員会」の設定を目指している僕の隣の部署(医療安全課)が作成した書類には、こう書いてある(参照:「監察医制度の概要について」、PDF。 監察医制度創設の経緯が、最後に書かれている部分を読んでみよう。

    • 「監察医制度は、飢餓、栄養失調、伝染病等により死亡が続出していた終戦直後において、これらの死因が適切に把握されず対策にも科学性が欠けていたため、公衆衛生の向上を目的として連合国軍総司令部GHQ)が、国内の主要都市に監察医を置くことを日本政府に命令したことにより、昭和22年に創設された」  (略)

別宮: で、その監察医制度が敷かれている都道府県って、いくつあるんですか。
白鳥: 死体解剖保存法の成立を受け、「監察医を置くべき地域を定める政令」(昭和24年・政令385号)で決められた政令では、東京23区内、横浜市名古屋市大阪市、神戸市、福岡市ならびに京都市の7都市に監察医制度を設置するとある。
別宮: え? たったの7都市?
白鳥: そんなことで驚いちゃいけないよ。 昭和60年の政令一部改正で、福岡市並びに京都市は除外されて、現在は5都市に減らされたんだから。
別宮: 時代の流れで削減されたなら、やっぱり時代遅れなのでは? (略) 時代遅れではないという証拠でもあるんですか。
白鳥: もちろん。 まず制度上の優れた点なんだけど、監察医の業務内容という規定では、監察医は死体解剖保存法に基づき、死因の明らかでない死体について以下の業務を行う。 (1)死体の検案を行うこと (2)検案によっても死因の判明しない場合に解剖を行うこと(遺族の同意は不要) とある。 この最後の一文、(遺族の同意は不要)がキモなんだ。
別宮: どういうことなんですか。
白鳥: 監察医制度のない地域では、行政解剖は、病理解剖と同様で遺族の承諾が必要になる。 監察医でない法医学者が行う行政解剖は病理解剖と法律的に同類なわけ。 ところが同じ行政解剖でも監察医制度の下では遺族の同意は必要とされない。この点は司法解剖と同様。 つまり、監察医制度と行政解剖を同じ範疇に入れて論じるのは、社会科学的にはナンセンスなんだ。 (略) 例えば児童虐待で殺された場合、体表に傷がなければ検視では判断が難しい。 すると結局、異状死で行政解剖の対象なんだけど、例えば官僚のお膝元 東京二十三区内なら監察医が解剖の適否を遺族の意思と関係なく決める。 ところがそれ以外の日本の大部分では、遺族の了承が必要になる。 さて、虐待をした親が死んだ子どもの解剖を承諾すると思う?
別宮: ああ! 言われてみれば。 (pp.70-74)




*1:理解を助けるために、語句やリンクの補足を引用者が行なっています。

*2:死因不明社会―Aiが拓く新しい医療 (ブルーバックス)』p.50 などによると、解剖一体につき半日〜1日の時間と、25〜50万円の費用がかかるという。