破綻と制度

橋本治いま私たちが考えるべきこと (新潮文庫)』Pp.210-216

 「個性を伸ばす教育」と言う人の多くは、「個性」というものを誤解している。 「個性」とは、そもそも「哀しいもの」で、そんなにいいものではないのである。 (略) そこそこに平均的で特徴がない――そのような形で一般性に覆われてしまった人間が個性を目指したって、無理である。 「ここまで出来たんだから、その先にある“個性”も」と思ったって、個性は、「その先」に崖から転落して、そうして負った傷からしか生まれないのである。 個性の門口は、「破綻」という形でしか訪れてくれない。 その破綻によってできた傷の痛みに堪える力のない者は、「個性」なんか目指さない方がいいのである。
 一般的な達成を得てしまった人間は、一ぺんその達成をぶち壊さなければ、「個性」への道を辿れない。 そんなことはムチャだから、やめた方がいいのである。 ぶち壊しのあとには「修復」が必要になる。 それをしなければ、破綻は破綻のままで終わりである。 (略)
 「破綻」なんかを求めても、どうにもならない。 いいことなんかない。 にもかかわらず、「破綻を求める出来のよくない優等生」は、いくらでもいる。 それはつまり、彼や彼女らが、「破綻」というものを、「訪れられてしまうもの」と理解しないからだ。 それは、「受け身の完了形」として理解されるものなのである。

これだけだと、破綻を神秘化するナルシシズムになってしまう。
天才待望。 「才能=破綻」が枯れることを恐れる、というような。
破綻がなくても取り組めて、ルーチンを直接問題にできる労働過程が要る。
とはいえ、共同体のルーチンを問題化する強い動機づけは、逸脱者にしかないか・・・*1


精神の管理社会をどう超えるか?―制度論的精神療法の現場から』Pp.48-49 (強調は引用者)

質問者: 今でもあなたは分析家として活動しているのですか?
ガタリ 個人レベルにおいて分析活動も続けていますし、私自身について自己分析も続けています。 でも私はそんな活動と、いろいろな制度や集団といったものに私が介入することを区別していません。
質問者: 68年からすでに言われていたことですが、今日でも制度の中で働いて有意義な仕事ができるのでしょうか?
ガタリ 制度の中で働く、働かないなんて選択できませんよ。 制度の中で働かない? それはどんなことを意味するのですか? 部屋に患者を迎え入れる精神分析家も制度の中で働いているのですし、バラバラの制度でも「庶民」の考えに強い影響力をもつ制度、一般の医師に強い影響力をもつ制度、メディアの考えに強い影響力をもつ制度があり、それらはみなまったく恐るべき制度形態ですよ。
質問者: その通りですね。
ガタリ 個人というものは結局、制度の構成要素が交差した状態のことでしょう。 個人の夢にしても制度的なものであり、映画に接続したり、テレビの画像に接続したりしているんですよ。 そういったことすべてが、制度なのです。



どんなに “自由に” 生きても、ひきこもっていても、個人はすでに制度を生きている。
自分の置かれた状況を「ゼロに戻す」なんてできない。
意識は、制度的再生産の過程。
すでに制度を生きているから、それを分節しないと、同じ枠組みを再生産してしまう。
分節のプロセスはそれ自体が、内発的な制度化。*2
ガタリの「分裂分析 schizoanalyse」や「主観性の生産 production de subjectivité」は、このあたりの話をしている。
「スキゾでいい」ではなくて、いっけんバラバラな私たちの意識が、フォーマットの反復に終わっている、そのことを内側から問題にしている*3
結果物の分断を追認したのではなくて、各人が自分の置かれた場所を内側から分節する、そのプロセス同士の協働を提唱した。 根幹には、臨床的趣旨がある。


不登校・ひきこもり論の核心に、ガタリの議論がかかわるのではないか?と思い始めている。*4



*1:不登校や引きこもりの経験者は、既存のシステムからは逸脱したものの、新しく獲得した共同体では、強迫的な順応者にすらなる。 ようやく順応できた規範に、すすんで抑圧されるのだ(それ以外の方法論を持っていない)。 ▼反体制運動に取り組む小集団にも、同様の事情が見られる。

*2:【※メルロ=ポンティの《制度》  完全に同じ制度を反復することは、意識と呼べるか。

*3:結果物の外部からの裁断(消費主義的な観客席)ではなく、制作過程の内部からの問題化。 問題化の過程自体が制作過程。 観客席はバラバラなままだが、制作過程同士にはコラボの可能性がある。

*4:とはいえ、80〜90年代に日本で流行したガタリとはほとんど関係がない。 『構造と力―記号論を超えて』や翻訳本で読むかぎり、彼の発言は「意味が分からない」か、「わかりやすすぎる運動家言説」かのどちらかであり、ダメ左翼のアイドルにしか見えない。