自分への距離をもたない人は、状況を素材化して分析しただけで怒り出す。 党派性へのフットワークを維持しただけで、「あいつは政治活動している」と陰口をたたかれる*1。
活動を始める前は、私を痛めつけるのは保守と右翼だと思っていた。 しかし実際には、人間関係の生じた人たちこそが耐えがたい。 支援者、左翼、研究者、ひきこもり経験者たち...。 要するに、党派性の生じたすべてのジャンルに、私に敵意を向ける人がいる*2。 彼らのほうでも、「ひどい目にあった」とか思ってるんだろう。
《素材化》という私のキーワードの意味に気付いた人は、たいてい真っ青になる、あるいは真っ赤になる。 私のことはさんざん晒し者にしておいて、自分のことは検証されたくないのだという。
ひきこもりをめぐる問題意識を言葉にすれば、社会から排除される度合いが高まる。 「誤解されなければ、受け入れてもらえない」(某氏)。 理解されることは、排除されることであり得る。
【追記2009-02-15】
私は、党派性を対象化する党派を必要としている。 メタによって「固める党派」ではなく、「動かす党派」(参照)。
これは、政治的であるとともに、臨床的な要請。 臨床的であることを目指す政治であり、政治的であるがゆえに臨床的に機能できる。 社会参加の臨床はメタに固定できない。だから下手をすると完全に孤立する(そのつど動きの中にあるゆえ)。
現状では、人のつながりには「固まる党派」しかないように見えており、そのことに絶望しかかっている。