『ひきこもりの社会学』 座談会について 3

その2からのつづき】



今回の座談会は、自分の居る場所で自分がどのように組織され関係を維持しているかを分析しない3人が*1、静態的な観察対象としてひきこもりの話をしている。この方針は、「社会にはいろんな人がいたほうがいい」という発想に基づく点でたいへんいたわりのあるものだが、「それを問題にしている自分自身」が、その受容の態度において分析されないまま肯定されており、「ひきこもりを対象化する制度的目線」については、対象化=論点化されていない。目線を体現する自分の位置づけを、分析的に検討する知的作業がまったくない。その拒絶の方針自体が、ひきこもりに不都合な環境を作る。





*1:分析するということは、失態や誤魔化しも素材にするということだ。ディシプリンで居直るところに分析はない。