「1%でしかない部分に縛られている」

仁愛大学で同じくゲスト講義に来られていた松嶋健氏の、次のような発言が刺激的だった*1

 大学教授であるとか、医者であるとか、ひきこもりであるとかいう社会的な存在理解があまりに支配的になり、私たちの意識を縛りつけている。 しかしそれは本来、人という存在のいわば1%ぐらいのことでしかなく、あとの99%は、人間が意識的にコントロールしようと思ってもできないような、「生きもの」として生きている次元にあるのではないか。 私たちは、単に生きていることの途方もない豊かさをしばしば忘れている。

80年代には、「多様性を肯定するだけのチープなナルシシズム」としか見えなかったドゥルーズ=ガタリに、別の可能性を感じている。
ただ、そうした生命の肯定が、次のような諸点をどう扱うのかが分からないでいる。

    • 「生命の肯定」を無条件の至上命題にすると、全体主義にならないか。




*1:掲載は了承済みだが、ここで要約したのは私の理解した大意でしかない。