与えられた生命を、積極的なものに転化すること

みずから望んで生まれてきた人は、この世に一人もいない。 私たちは、自分の生を受け身で与えられたのに、どうしてそれを(当たり前のように)積極的に生き直すことに成功しているのか。――ひきこもりにおいては、この暗黙のメカニズムが壊れている*1
これは、人間にしかあり得ない葛藤といえる。 動物や花は「ただ生きる」し、物質は、「反応」することはあっても、「ひきうける」ことはない。
河童の胎児は、産まれて以後の生を引き受けることを拒否し、中絶されることのみを望んだ。 ▼「死を選ぶ」ことも、「ひきうける」ことだろうか。 ひきこもることは、自殺に向けて引き受けることすらしていない(できない)。 「ひきうける」という営みをできなくする自意識の硬直がある。 【「責任転嫁」と「不可抗力」の境目でなされている議論であることに注意。】
「ひきうける」をテーマにし、その中身を検証することは、自己言及的な営みにならざるを得ない。 私の言説の多くは、「積極的な努力」に転化できることとできないことの境目で、試みられている。(すべてを積極的なものに転化できたら、私は言葉を生産する必要があるだろうか。)







*1:拙著冒頭に掲げた核心的モチーフ。