「我々の業界では決着がついた」

強調は引用者。

 この論争*1は、当然ですけれども、我々の業界の中ではすでに決着がついています。 斎藤さんは自分の理論を持ちこたえることができずに、引きこもりにもいいところがあるとか、引きこもりも必要な場合があるというふうに、だんだん意見を変えてきたわけです。 それに対して、意見を変えるぐらいだったら最初からいうなとたしなめる人がたくさん現れてくるにつれて、この問題は基本的には決着がついた。 (p.210)

「我々の業界」というのは、精神科医の業界のことだと思う。
ひきこもりに対する医療主義的な精神科医がすでにいない*2、という意味ならば喜ぶべきことだが、しかし苦しんでいる当事者の多くは、その苦しみに処するために利用できるインフラとしては、いまだに医療系を無視することはできないし、最初の診断窓口としても、精神科医の役割は大きい(参照)。 「医療主義」というのとは別の意味で、最低限の情報共有と支援者間ネットワークの期待できる、「社会的なインフラ」として、医師の方々には「ひきこもり」に注目していただく必要がある。
「決着がついた」というのだが、そんなところで左翼的な覇権争いをされても困る。 斎藤環氏にはまだ期待できる仕事がたくさんあると思うし、それは高岡氏に対しても同じこと。




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*1:斎藤環高岡健の、ひきこもりをめぐる論争

*2:とてもそうは思えない