《 学習 II 》

 ベイトソンの学習理論でもっとも理論的な貢献度が大きいのは、この「学習 II」の発見である。 それは「学習 I の進行プロセス上の変化」と定義される。 「学習 I」が連続的に起こるとき、学習効率が向上し、学習の速度がはやくなる*1。 (レジュメより)

 学習する主体は、刺激と反応を覚えこむだけではなくて、同時に「学習のコンテクスト」をも学習している。 「学習の状況が何を意味しているか」についての理解。 学習のメタレベルの学習。 経験の連続体が区切られる(分節化)、その区切り方(コンテクスト)の変化。

 「学習 II」では、そのさいに使われるコンテクスト・マーカーの変化を伴う。
 ここではとくに「コンテクスト=分節化」という点を強調しておきたい。 (レジュメ)

たとえばパブロフの犬は、肉の出てくる合図である「ベルの音」を、周囲のノイズと識別=分節化しなければならない。 意味の発生は、「コンテクストの学習=分節化」に全面的に依存する。


まだ言語の必要はない(たとえば「ベルと肉」は、「記号」の段階)。 言語は多義的(記号は一義的)。 動物は一義的な記号まではできるが多義性のある言語は無理。 ▼これは人工知能にとっても重要な問題。 コンピューターには、その場の状況(コンテクスト)を理解する力がない(フレーム問題)。

    • たとえばワープロには「文脈変換」という機能があるが、これは実際にはパターン認識であり、コンテクスト認識とは別。
    • コンピューターは「危険物を除去せよ」という命令を自分では適切に遂行できない。 「何が危険物であるか」は文脈によって異なる(文脈依存的である)ため、コンテクスト認識のできる人間から見ればあり得ないような初歩的な判断ミスをし、過剰に排除してしまったり、まったく動かなかったりする。
    • 自動翻訳も、翻訳には「コンテクスト理解」が不可欠であるため、人間レベルに達するのは無理であるか、あるいは少なくともまだ当分は足踏み状態だろう。 コンピューターには、文脈理解が完全に欠けている。


 ベイトソンは、「なぜ学習 II が起こるのか」、そのメカニズムにはまったくふれていない。 重要なのは、コミュニケーションの効果としての「学習」に階層構造があり、そこからコンテクスト概念が必然的に派生するということだ。 この前提はきわめて堅牢なもので、私によるコンテクスト論の中核をなす。 (略)
 「学習 II の学習内容が、それ自体を妥当化する働きを持つ結果、このレヴェルでの学習は一度なされてしまうと、根本から消し去ることはほとんどできなくなる」。 これは学習 II の過程が、一種の自己言及的かつ自己組織的作動によって維持されていることを含意している。 (斎藤環氏の配布したレジュメより、強調は引用者)






*1:【斎藤注】: たとえば語学の勉強でも、初歩の段階ではなかなか語彙が覚えられないが、ある程度進んでくると、どんどん覚えられる。