文学という大義名分が、どうして勇ましいナルシシズム(独りよがり)を許すか。 ナルシシズムの制度に承認された勇ましさは、本当の私秘性を語らない。 しかし、本当に生産された私秘性は、結果的に制度を補強する。 補強された制度に後になって依拠したところで私秘性が担保されるわけではない。
東浩紀の言う「人間的」は、私秘性を囲い込んで悦に入る制度であり得る。 いっぽう「動物的」は、私秘性をそもそも問題にしない態度に見える。 私はいずれにも耐えられない。