「事後性」 deferred(英) Nachträglichkeit(独) après-coup(仏) 【フロイト】

精神分析事典』p.164

 心的生活の特殊な時間性および因果性の次元について言われるもので、記憶から除かれた印象あるいは痕跡が、完全な意味、完全な効果を発揮するのは、最初の刻印のときより後でしかないという事実をいう。



知の教科書 フロイト=ラカン (講談社選書メチエ)』p.68〜 「事後性」 「心的外傷」

 たしかにラカンは、「シニフィアンシニフィエ」というタームをソシュールの構造言語学から受け継いだ。 だが、言語学的事象をあくまで「シニフィエ=概念」と「シニフィアン=音声」という二領域の「境界地帯」にかかわるものとして位置づけていたソシュールに対して、ラカンは明確に「シニフィエに対するシニフィアンの優位」を唱え、シニフィエシニフィアンの「効果」へと還元した。 つまりシニフィエは、ラカンにおいて、シニフィアンとは異質な独立した領域を構成してはおらず、「シニフィアンの連鎖によって生産されるもの」という二次的な身分を与えられているにすぎない。 このことは、ラカンソシュールの「シニフィエシニフィアン」の図式を逆転させて、「S/s」(大文字のSがシニフィアン、小文字のsがシニフィエ)と表記したことに端的にあらわれている。
 それでは、シニフィアンはどのようにしてシニフィエを生み出すのか。 ラカンは、まさにこの問いに対して「シニフィアンの遡及作用」という答えを用意した。 曰く「文はその最終のタームを待ってはじめてその意味形成に留め金をかける。それぞれのタームは、他のタームからなる構築物の中で先取りされているが、また反対に、その遡及的効果によってこれらのタームの意味を確定するのである」(É:805)。 たとえば、「私はフロイトを読む」という文を考えてみる。 「私は」というタームを発しただけでは、あるいは、それに「フロイトを」を加えただけでは、まだ意味は到来しない。 「私はフロイトを」という二つのタームからなる構築物は、それらの意味を刺し止めてくれる次のタームをさらに待望し続ける。 そして、「読む」という最後の語がついに発話されるとき、それによってはじめて、それまで不確定だった文全体の意味が「遡及的に」決定されるのである。
 この「シニフィアンの遡及作用」は、なにも文の意味の決定のみにかかわってくるメカニズムではない。 ラカンにとって、およそ因果関係なるものはすべてこのメカニズムに依拠しており、何かが「原因」となり、また「結果」となるのは、それらが一つの「シニフィアンの連鎖」の最初と最後の項を構成するかぎりにおいてである。 そしてそのように述べるとき、ラカンは明らかにフロイトの「事後性」と「心的外傷」とを念頭においており、それゆえ「事後性」を「外傷がそれによって症状の中に伴意されるところのもの」(É:839)と定義づけてもいる。 実際、フロイトにおいて、「事後性」は病因論の不可欠な要素であり、「心的外傷」の時間性そのものを名ざしているとさえ言える。
 フロイトのテクストの中に「事後性」というタームが最初に現れるのは、1895年の「心理学草案」において、より正確には、そこで報告されているエマという少女の症例においてである。 彼女の訴えは、一人で店に入ってゆけないというものである。 フロイトとの分析において、エマはまず、彼女が12歳のときのある経験を思い出す。 【中略】
 ここに見出されるのは、外傷になった出来事(8歳)と実際の症状のきっかけとなった出来事(12歳)との間の時間差である。 【中略】 つまり、12歳のときの出来事が、8歳のときの事件の外傷的な意味を、遡及的に浮かび上がらせたのである。 「一つの記憶が抑圧され、それがただ事後的に外傷となった」(GW,Nb:448)とフロイトは記している。
 こうして、フロイトにおいて、外傷とは何よりも、事後的に、つまり遡及的に、意味(シニフィエ)を与えられるシニフィアンである。 このように見てくると、ラカンによって刷新された「事後性」の概念は、実はフロイトの中にそのまま再発見されうるのだということがわかる。 そして私たちは、今日のPTSDをめぐる議論において完全に通俗化された「外傷」の概念が、フロイトのそれからどれほど隔たったものであるかということにも、思い至らざるをえない。