【ICCシンポジウム第1回の私的なまとめ (1)】、【同 (2)】、【同 (3)】 (id:inflorescenciaさん) 

主に「個別社会」「再帰性」に関して引用*1。  【追記: 私が自分で動画を見てのメモもご参照ください。】



強調は引用者。

宮台真司

 そして最大の問題点は全体性を把握している人がいない点にあります。 民間企業も政治家も官僚も、生き残りをかけて各々の利にかなうアーキテクチャを入れようとしていますが、競争関係にあるが故に、誰一人として全部を見わたせないということです。

 不完全な民主制を補完するものとして、欧州の場合は連帯(主張を補完するためのベースとなるもの)やnoble obiligationsがあり、米国では宗教的善性や良心がある、としています。 それぞれの拠りどころとなるのが、都市国家自治国家の伝統(欧州)と結社の伝統/ASSOCIATION(米国)です。
 しかし日本においては双方の伝統が空白である、と宮台先生は指摘していました。 よって欧州のように生活世界の保全という選択肢は取れないし、米国のように「システム」の拡充も辛いという状況に陥っているのです。
 そこで、処方箋として提示されたのが再帰性の徹底」です。

 それに対して宮台先生は、確かに解離は存在するとした上で、プラットフォームを選択して支える人たちは必要であると再度仰いました。 そしてその問題は現段階では未解決であるとして「誰が」「何によって」「どのように正当化するか?」が課題であると示しました。


斎藤環

 しかし病理がシステマティックになって再帰性によって強化され、形象化が進んでいるというのも事実です。斎藤先生はひきこもりの図解を通して病理のシステム化を提示していました。それによればひきこもりは、個人・社会・家族が完全分離化していて、症状の再帰的強化・増大が起きているらしいです。
 また、患者が自分で自分の症状を解説していることが多いと言い、問題意識が自覚化されるほど治らないとも仰ってました。自己言及の流行により社会学や心理学が自分語りのツールとして利用されだすと、問題が言語化されて再帰性はさらに強化されてしまうそうです。フロイトの想定では、病理が意識化できれば少なくとも軽減されるはずだったのに、逆に問題意識が高まるほど悪化してしまうのです。これが「社会の心理学化」です。

 ひきこもりは正常であるために仮借ない判断を自分にも下してしまって、自分で自分を追いつめてしまう

 おたくとして生きて症状を受容することで、無限の再帰性に歯止めをかけられるのではないか

 存在の不確実性によって「自分探し系」はカルトに走り、自傷・身体操作による存在確認によって存在のトラウマ化が発生します。ネット依存や摂食障害も同様で、 内省の過剰が社会性の回避につながっていくわけです。▼<ひきこもり>はカルトにはいかない*2

 宮台先生の問いに対して斎藤先生は、強い再帰性を生きている人すなわち制度的エリートというわけではないと応答していました。またその逆も真であり、制度的エリートは再帰性を生きていないとも述べていました。エリートのイメージが解離しているということだそうです。


藤幡正樹

 自己言及のためのリテラシーを教えることが必要
 際限なき再帰性を留めるために自己言及のひとつのスタイルを提示すれば良いのではないか

 "culture"は「耕す」という意味から「白痴」がやることである
 アーティストは「白痴」であり、すなわち目撃者である




*1:他のかたのblogからの大量引用です。 問題があればご指摘ください>id:inflorescenciaさん

*2:この説明に、「なぜなら自分自身が(孤立した)カルトだからだ」というニュアンスの指摘があったと聞いているが、未確認。 しかしこれは大事なモチーフ。