必要な社会的能力や課題は、年齢や資産によって変わってくる。

「本人40歳、親70歳」に近づきつつある私は、「本人20歳、親50歳」の引きこもり話をほとんど他人ごとのように聞いている。 多くのニュースは、20歳にとっては希望であっても、私にとっては希望ではない。
何度も言っていることだが、世間は「資産家の息子」が就労していなくとも、道義的にそれを責めることはあまりない。▼社会性の獲得や就労は、「自他の苦痛緩和」と「サバイバル」のためであって、即自的な絶対義務ではない。

    • ただし、ひきこもりのような強迫的実存がどのような社会的処遇を受けるかについては、公共哲学の枠組みが問題になるんだと思う。(私はまだ論じる能力がない・・・)