事実確認

「何があったか」をわかりやすく検証するために、時系列箇条書きのフォーマットを貴戸理恵氏にメールでお送りし、ご自身に執筆していただいた*1。 以下、貴戸氏による校正済みの文章をそのまま転載する。 ただし、争点に関係する重要な事実確認については、貴戸氏から最終稿を受け取った後、報告者である私が勝手に強調した。

■2002年7月〜
インタビュー調査を開始する。 情報提供者(インタビューに協力してくれた<当事者>たち)へのアクセスは、 (1)横浜市の「親の会」を通じてその息子・娘を紹介してもらう、 (2)東京シューレ関係のイベントに参加し、東京シューレ出身の不登校経験者と知り合う、 (3)そのようにして知り合った人にさらに知人を紹介してもらう、 という方法で行う。 その際、貴戸自身が不登校経験を持ち自分の問題としてこの領域に関心を寄せていること、大学に提出する論文の取材であることを、事前に手紙・Eメールあるいは口頭で全員に告げている


■2003年9月〜11月
情報提供者全員に作成中の論文のケースレポート部分を郵送あるいは対面にて渡し、論文に掲載してよいかどうか許可を得る。 訂正・削除の要求は全面的に受け入れる。


■2003年12月
修士論文不登校経験の意味付けとその変容』を東京大学大学院総合文化研究科に提出。 提出後に届いた情報提供者からのケースレポートの訂正・削除の要求を同様に受け入れる。 また、連絡がつかず「掲載可」の返信が得られなかった情報提供者のケースレポートを削除する。 結果的に2名のケースレポートを削除したものが修士論文として承認される。


■2004年1月〜4月
ケースレポートを含む修士論文全体を、情報提供者に郵送あるいは対面にて渡す。 東京シューレによる「見解」手記を寄せたシューレ大学に所属する二人の情報提供者については、対面にて二人に一冊を寄託し、二人および関係者が閲覧できるよう依頼する。 また、シューレ大学のスタッフにも修士論文全体を一冊手渡す。


■2004年4月〜7月
論文が単行本として出版されることについて、対面・電話あるいはメールで、情報提供者全員に許可を取る。要望に応じて、3名の情報提供者についてはこのときにさらにケースレポートを修正する。
なお、東京シューレに関する記述は公刊物からの引用に基づいており、東京シューレでのフィールドワークや奥地圭子氏へのインタビューなどは行っていないことから、団体としての東京シューレおよびその代表である奥地圭子氏には許可を得る必要を認めなかった(貴戸「コメント」参照)。 ただし、シューレ大学のスタッフには、出版の予定がある事実を報告している。


■2004年11月
不登校は終わらない』出版。


■2004年12月〜2005年1月
奥地圭子氏から電話連絡を受け、シューレ大学にて貴戸と東京シューレ関係者10名弱で『不登校は終わらない』の内容について話し合う。 話し合いは2度行われる。


■2005年2月
初旬、重版が決定する。 貴戸から東京シューレに「できるだけ対応するので訂正を希望する箇所を示してほしい」と要望する。 2月14日に貴戸がシューレ大学を訪問し、260箇所あまりの修正要求書を受け取る。 1)情報提供者個人から要求のあった発言内容の削除・修正および匿名性への配慮、 2)事実誤認や誤字脱字の修正、 3)より誤解を少なくする表現への改訂を中心に50箇所あまりを修正し、第2版を出版する。
東京シューレ「見解」に手記を寄せた情報提供者の一人が違和感を表明している「フリースクール批判にも関心を持っている」「フリースクールに一〇年以上所属し、そのなかで学び育った人物によって担われるとき、(中略)<「居場所」関係者>にとってもっとも核心を突く、手痛いものとなるに違いない」という箇所についても、このときの希望によりすでに削除している(貴戸「コメント」参照)。


■2005年4月8日
東京シューレ「見解」をシューレHP上にて公表。


■2005年4月26日
貴戸理恵、シューレ「見解」への「コメント」をHP上に公表。(HTML版


* その他
・現在のところ、 出版後に発言部分の削除・修正の要求のあった情報提供者は、東京シューレの「見解」に手記を寄せた二人。




*1:さらに詳しくは、もちろん貴戸理恵「コメント」を参照していただきたい。