貴戸理恵氏「コメント」より

上記樋口明彦氏の見解と関連。

「都合により自分が当事者であるかどうかを使い分けている」(P.1 L.25)とのご指摘について、私は情報提供者の方がたに研究の主題を説明する上で、自分が不登校の当事者であることを語りました。同時に、拙著の中には「自分は当事者とは言えない」とする内容と読者に受け取られうる記述があったことと思います。しかしそれは、当事者というものを「何らかの本質や実態を共有する集合としてではなく、あくまでも行為者相互の関係におけるひとつの位置」(拙著、P.23)と考えているためです。「確固とした当事者が存在する」というのではなく、その人が当事者であるかどうかは、どのような状況のもとで、誰と向き合うかによって、その都度はかられるものと捉えています。