情報生産 ―― 勉強と先鋭化の方向性が…

鈴木健さんのエントリーで知った論集 『進化経済学のフロンティア』ISBN:4535553211 が届いた。 執筆者を見て個人的に驚いたりしたのだが、この本、これから長く付き合っていくのだろうか…(いまいち乗り気になり切れずにいる)。


あらためて、自分の勉強の方向性について悩む。 「不登校ニート・ひきこもり」という連続性のある問題系について――僕は「ひきこもり」を中心に考えることになるが――、実効性のある、かつ「相手にされる」議論を作ろうとしたときに、「勉強しなければならない」のは分かるのだが、どこに手をつけたらいいか。
既存の文脈では「精神医学」「精神分析」「臨床心理」、それに最近では「社会学」ということになるようだが、僕自身は「労働経済学」などが深く関わるような気がしている。 それに「コミュニケーション」ということなら、文学や思想などの人文系の議論も要りそうだ。 「言葉で未開拓の現実に切り込んでいく」という仕事には、作家的な側面もあるかもしれない。


数学などに典型的だが、徹底的に先鋭化された最先端の議論は、「世界で数人しか理解できない」状態になったりする(それほど「コミュニケーション」が洗練されてゆく)。 一方、それが「現場」に応用されたり、一般向けに啓蒙的に語られたりするときには、「ミドルマン」的な存在が必要になる。 → 僕の議論はどこに向けて彫琢・先鋭化していけばいいのか…。
たった一つの学問分野に習熟するにも、読まねばならない文献の量は膨大になる。 本を読むことが好きとは言えない*1僕が取り組むとなると、よっぽど強烈なモチベーションが要るが、動機設定をできるほどには、ビジョンがうまく見えていない。 おそらく日本中に、(この「ひきこもり」というテーマでは)ビジョンが見えている人など、いない。


じつは、社会学・法学・経済学について、大学1年生レベルの授業が受けたくてしょうがない。 いや、というか、それ以外にも、いろんな学問分野の「入門」レベルの授業を受けたくてしょうがないよ。 「本を読む」前段階としての、「人の話を聞く」段階。 「コミュニケーション」という前に、「話を聞かせて!」というような。
ドアーズの曲じゃないけど、「僕の欲望に火をつけて!」というような…。







*1:そのくせ、町の中では「本屋と図書館」をまず最初に探す…。 僕は神戸に住んでいるが、三ノ宮などの繁華街に出ても本屋以外にはほとんどまったく行かない。 歩くルートまで決まっている。 生活の中に不確定要因が入り込むのを恐れているのかもしれない。 それにしても、「言葉が好きなのに本が読めない」 とは、どうしたことか…。 ≪他者≫とうまく付き合えない、ということか。