『現代思想』 1984年9月 臨時増刊号(vol.12-11) 総特集 ドゥルーズ=ガタリ 【絶版】
訳語:「制度精神療法」 p.28
訳者:宇野邦一
宇野氏によるガタリへのインタビュー「スキゾ分析の方へ」より。 みずからの精神病院での取り組みと、思想的な試行錯誤の関係について、ガタリ本人が説明を試みている。
p.275 に「
ジャン・ウーリーやフェリックス・ガッタリ」とあるのは、
Jean Oury、 Félix Guattari のこと。
著者の松本氏は1976〜7年頃、ラボルド病院に三週間ほど滞在している
*1。
訳語:
「制度的な心理療法」(p.211)、
「制度的心理治療」(p.224)
原書は『La révolution moléculaire』(1980年版、10/18叢書)
訳語:
「制度的精神療法」
p.68〜、 p.100〜、 p.141〜
原書は『
Psychanalyse et transversalité : Essai d'analyse institutionnelle』(リンク先は2003年刊だが、初版は1972年でFrançois Maspéro社)
訳語:
「制度的精神療法」 p.93、p.104
この論考「制度のなかにおける
シニフィアンの位置(La place du signifiant dans l'institution)」は、原書では『
La révolution moléculaire(分子革命)』(1977年版、Recherches社)に収録されている。 邦訳版『
分子革命―欲望社会のミクロ分析 (叢書・ウニベルシタス)』(1988年刊)は、1980年版(10/18叢書)の『
La révolution moléculaire』を原本にしており、論考の取捨選択に違いがある(
参照)
訳語:
「制度的精神療法」 p.206
原書は『
Les années d'hiver 1980-1985(冬の時代)』(リンク先は2009年刊だが、初版は1986年でBernard Barrault社)
pp.552〜560 訳語:
「病院精神療法」
訳者:片田珠美
原書は『
L'apport freudien』(1993年刊)で、項目は
ジャン・ウリが執筆している。
「
institutionnelle」という単語が「病院」
*2と日本語訳されたことについて、のちにウリ本人が「それでは台なしだ」と溜め息をついている
*3。 取り組みの趣旨をほとんど真逆に理解した邦訳。
精神の管理社会をどう超えるか?―制度論的精神療法の現場から
- 作者: フェリックスガタリ,フランソワトスケル,菅原道哉,ジャンウリ,高江洲義英,ダニエルルロ,市川信也,F´elix Guattari,Danielle Roulot,Fran〓@7AB7@cois Tosquelles,Jean Oury,杉村昌昭,村沢真保呂,三脇康生
- 出版社/メーカー: 松籟社
- 発売日: 2000/04
- メディア: 単行本
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それまで「
制度的精神療法」「
病院精神療法」という訳語があてられていた「
psychothérapie institutionnelle」に、
「制度論的精神療法」という訳語を提唱した。
原書は『
Pratique de l'institutionnel et politique』。 ただしこの邦訳版は、トスケイ
エスへのインタビューが削除され、逆に
三脇康生氏による長大な論考「精神医療の再政治化のために」のほか、
菅原道哉氏と、
高江洲義英氏へのインタビューが掲載されている。
p.10 訳語:
「制度論的精神療法」
p.111、114、127、137 訳語:
「制度論的心理療法」
原書は『
Chaosmose』(Galilée,1992)
p.143〜で、サン・タルバン(
Saint-Alban)病院、トスケイ
エス(本書では「トスケル」)等に言及。
「
thérapeutique institutionnelle」という原語が記され、
「機構療法」と訳されている。
論者:海老坂武
フランツ・ファノンが、
ガタリらと同じ臨
床運動の文脈にいたことが日本では知られていない。
p.115〜 訳語:
「制度としての精神療法」
訳者:阿部惠一郎
pp.53-7 論者:
三脇康生
「制度改編派精神療法」という訳語を提唱。
p.225〜 訳語:
「制度改編派精神療法」
ここでの斎藤氏の解説は、あくまで好意的になされているのですが、意味がよくわかりません。少なくとも、私が引き受けようとしている、内在的な臨床の時間には触れられていない(むしろそれを拒絶している)
*4。 それは、どうでもいい欠落ではなくて、制度分析の核心部分です。 ▼私は『
ビッグイシュー』誌上の往復書簡で斎藤氏への反論を行ない、ほとんどすれ違いに終わったのですが(
参照)、それはまさにこの核心をめぐるものでした。ただ、いきなり反論をぶつけるより、この解説への疑問をたたき台に、お互いの趣旨確認をするほうが良かったかもしれません。これは、一時的な感情的対立ではなく、非常に根本的な方針の対立です。
p.223で、
「制度を使った精神療法」「制度を使った教育学」という名称の選択について、説明がなされている。
論者:
三脇康生
「制度を使った精神療法」という訳語を提唱。
「
psychothérapie institutionnelle」の訳語をめぐる格闘は、内在的な仕切り直しの時間軸を、「ベタなメタ解説」や「メタに固定された現場」にあらがってどう位置づけるか、だと思います。それは、「
おフランスからの輸入思想」でも意味がない。歴史的な文脈は説明しつつも、この取り組みの生命線は、自分の日常をどこまで素材化できるかに懸かっています。
訳語:
「制度論的精神療法」 p.83
原書は『
Les trois écologies』(Galilée,1989)
すが秀実氏による「あとがき」(p.383):
制度を使いながら制度を批判するスタンスを維持する(そのことをドゥルーズ/ガタリは「n-1」たれ、と言った)制度論的精神医療
p.225〜 「ひきこもり・
家庭内暴力・
ニート」の節で、
ガタリらの「制度分析
analyse institutionnelle」「分裂性分析
schizoanalyse」に言及。
執筆:
斎藤環
同じ執筆者による『
思春期ポストモダン―成熟はいかにして可能か (幻冬舎新書)』(2007年11月公刊)p.225〜とほぼ同趣旨の説明になっている。 公刊時期はずれているが、執筆は同時期ではないか。
p.119 制度概念をめぐる取り組みや、『
医療環境を変える―「制度を使った精神療法」の実践と思想』に言及。
論者:
廣瀬浩司
廣瀬氏には、『
Problématique de l'institution dans la dernière philosophie de Maurice Merleau-Ponty(モーリス・
メルロ=ポンティの晩年の思想における制度化の問題系)』という、フランス語の博士論文がある(
ご本人のサイトより)。
説明のなかで、「制度的(制度における、制度に対する)精神療法」と記されている。 臨床実践の趣旨にもとづく敷衍的な意訳だが、非常に示唆的。
pp.121-137 《「反精神医学の闘士」と自己の「現実」》 論者:
廣瀬浩司
フーコーはこの運動を「制度=施設(institution)」批判として位置付け、そこにトスケイエス、ウリらの「制度論的分析(analyse institutionnelle)」も含めているが、このような「制度」の名における闘争全体、さらには「制度」概念そのものについて、批判的なコメントを繰り返している (以下略) (p.121)
〔制度分析(analyse institutionnelle)は〕 「制度における、制度による、制度に対する」働きかけなのである。 ガタリは言う。 「このような〔医療〕環境の分析プロセスを、外部から行なうことはできないと強調しておこう。それは制度それ自体と一体化しなくてはならない」*5。 (略) ガタリの60年代の実践が私たちの考察に残してくれたのは、制度概念そのものの創造性である。 「制度によって、制度に対して」引き起こされるものであるからこそ、「制度における」特異性の生産を制度化することができる。 (pp.143-4、強調は引用者)