「ニート対策禁止法案」 視聴後の感想とメモ

先日文字起こしした『太田光の私が総理大臣になったら』、「ニート対策禁止法案」について、いくつかメモを記してみます。 ▼今回の番組は、今後の勉強についての火種を得たということなのだと思います。

    • 今回の文字起こしについて、有志の方々より、計181ポイントの投げ銭はてなブックマークポイント)をいただきました。 これは当blog始まって以来の金額です(投げ銭自体が2回目)。 ありがとうございました。




「働くこと」への評価――帰属集団

id:rahoraho(斎藤智成)氏による、「働いたら負け」「働いてる人をバカな奴だと思ってる」という発言は、直接的な帰属や交換関係を持たない人たちが相手だからこそ言えること。 rahoraho氏といえど、「せどり*1の交渉相手にはごく常識的な礼儀を尽くすだろうし、相手の希望を満たすために、相応の努力(労働)もなさっていると思う。 つまり rahoraho氏は、「直接的な利害関係のない人たちとは、規範を共有するつもりも必要もない」と主張しているに過ぎない。
「働いてる人をバカな奴だと思ってる」と語る rahoraho氏は、私の「TV番組文字起こし」のブックマークに、次のようにコメントしている。


・・・・「仕事だ」と認めたうえで、ねぎらってくださったわけだ。
いや、そもそもあのようなTV番組に実名で出演し、思い切った発言を連発したid:rahoraho氏は、一部の同調者にとって、あるいはあの番組のスタッフにとっても、「いいシゴトをしてくれた」のではないか。 ▼2ちゃんねるには、よく知られた次のようなAAがある。

グッジョブ(Good Job)、つまり「いい仕事したな!」というねぎらい・・・。
id:rahoraho氏にも、その言動を評価する一部の人たちにも、「いい仕事をすること」への評価やねぎらいの姿勢はある。 問題は、「何をもってシゴトと見做すか」だ。 ▼「個別社会」と「全体社会」*2で、事情が違ってくる。





*1:古本などの転売によって差益を得る行為。 id:rahoraho氏はこれで小遣いを稼いでいるという。

*2:「個別社会」と「全体社会」を分けるのは、宮崎学法と掟と―頼りにできるのは、「俺」と「俺たち」だけだ!』より。

「経済」「規範」「職能」の峻別

先日も触れたが、番組に出演した「現役ニート」たちは、家族の援助がなければ生きていけないが、逆に言えば、家族の援助さえあれば、スタジオや視聴者を敵に回しても生きていける。 つまり、経済事情を保障してくれる帰属集団さえあれば、全体社会の規範から逸脱していても生きていける*1
問題はだから、個別社会(家族など)と全体社会の、関係のあり方、調整の仕方なんだと思う。
全体社会の規範から外れていればミクロな社会においても排除されるというのであれば、誰も「現役ニート」諸氏のような言動は取れないはず(多くの人はそうやって自分を規制している)。 ▼職場という個別社会(職能集団)においては、「有能な人でなければ困る」という事情が優先することは、rahoraho(斎藤智成)氏自身が認めている

 原口一博 採る側の経営者だったとします。 経営者だったらどういう人を採りますか?
 斎藤智成: 能力の高い人ですね…

自分や親族が病院で手術を受ける場合、あるいは自分たちの住む家を建ててもらう場合、「仕事のできない人が担当者でも構いません」と言えるだろうか? ▼私はいま知人たちと『論点ひきこもり』というサイトを共同運営しているが、スタッフを募集する際には、やはり「仕事のできる人」を募集するしかない*2

  • 「経済」「規範」「職能」の3つは、懸念材料として切り分けて検討すべきだと思う。
    • 所属する個別集団で承認されていて、その間社会参加しなかった。 また、職能がなければ雇ってもらえないことに異論はない。――だとしたら、焦点化すべき規範は、いわゆる「履歴書の空白」、つまり「長期にわたる社会からの離脱」を認めるか否かだと思う。 ▼rahoraho氏が再三主張していたように、いま現に生きていられるということは、身近な人間関係において経済事情がまかなえており、だから「働く必要がない」のだが、彼を責める人たちは、「だけど人間ならば働くべきだ」という話になっている。 社会から離脱してはならず、「自立していなければならない」と。 職業生活から離脱し、経済的に誰かに依存した生活を送っていた事実が、のちのちの人物評価にマイナスの影響を持ち、職能とは別枠でスティグマ化のリスクを負うという事実を、肯定するのか否か。




*1:個別集団が全体社会の規範から逸脱しつつ成立している例については、他にも指摘できると思う。

*2:ひきこもっている人で「仕事ができない」というのは、一般に思われるよりも桁外れに「できない」。 ▼実際に経験した事例でいえば、「原稿用紙1枚分の文章を依頼したら何ヶ月経っても仕上がらなかった」、「連絡を取ろうとしてもお返事が一切ない」など。――協力関係を作る前提となるような社会的能力にトラブルがあるため、共同事業は事実上不可能になる。

「自発的ニート」への承認と、「元気になりかけの引きこもり」

番組では、いつの間にか「やむにやまれぬ弱者」としての不就労者と、id:rahoraho氏が体現したような「自覚的に選択された不就労」とを分けるべきだ、という話になっていた。 これ自体はきわめてうれしい理解だ。 ▼ただ問題は、ひきこもり状態に追い詰められた人も、ある程度元気になれば、少なくとも外見的には「現役ニート」諸氏のような状態になるということ。 【→ ひきこもり支援は、「ひきこもっている人をニートにする」のが目標かもしれない。】
実は、「就労自体を望まないニート」が状態像として肯定されない限りは*1、ひきこもり支援は、「就労に向けた無条件の恫喝」にしかならない。 やっとこさ元気になっても、「いつになったら働くんだ」*2「お前は今まで引きこもっていたのか」と規範レベルで糾弾されるしかない【経済事情や職能とは別枠で】。 ▼「一時的とはいえ、親に依存し、社会から離脱していたことは絶対に許されない」と主張することは、無自覚的な規範を通じた「国民総動員」にも見える。【「だからいけない」というのでは必ずしもなく。】
社会参加は、最低限には「経済的必要によって」要請されるのであって、規範レベルでは要請されないはず*3。 ▼太田光氏は、働かない人間には「石を投げてやればいい」というのだが、これについては、複数の当事者サイドの人たちから、「言葉通りの意味で、いじめやリンチの推奨ではないか」という不安の声を聞いた。 「元気だが働いていない人」が糾弾されるのであれば、「元気になりかけの引きこもり」は、やっぱり糾弾されるだろう。 ただでさえ競争社会に入っていけない人たちは、ますます社会復帰できなくなる。



*1:金銭事情や「家族との交渉関係」は必ず検討しなければならないが、ここでは「全体社会の規範」をまず問題にしている。

*2:「病気」「障害」と見做された人のみが就労義務を免除されると考えれば(近代社会ではそのような規範になっているはず)、「ひきこもりは病気ではない」と主張することには、危険が伴うことになる。

*3:しつこいように繰り返すが、直接的扶養者との交渉関係を満たすことが前提。 ▼ただし、「扶養義務」という法律上の関係を検討する必要がある。

政治=「予算の使い道」

番組の最後では、「スタジオに来ているような元気なニートには予算を出すべきではない」という意見にたいへんな説得力があったし、私も本当に同感なのだが、ニートには予算が下りても、ひきこもりには予算が下りない。 「苦しんでいる人だけに予算を」とは、なかなかいかない。 ▼先日、知人といっしょに「私のしごと館」を見学してきたのだが、元気なニートにはほとんど利用されず、ひきこもっている人はもちろん利用できず――というか、あのように空疎な趣旨と内容の施設に、580億円+毎年20億円という予算が注ぎ込まれ続けている事実*1から出発して、考えるべきだと思う。 ▼年間200人以上死亡している野宿者のための予算は、30億円程度。――「社会勉強」というなら、あの施設の存在そのものがいちばん「社会勉強」になると思う*2
――太田光氏によれば、ろくに税金を払えていない私には、こうした見解表明の権限自体がないのかもしれないが・・・。



*1:入館料収入は1億円なのに人件費だけで6億円かかっているというが、そこまでして成立させ続けるべき施設なのか。 ▼以前TVで放映されていたが、館内にある「職業人の格好をした等身大の人形」は、一体が300万円以上するらしい。 さ、300万円・・・?

*2:村上龍あの金で何が買えたか』などを見ても、文字だけではいまいちピンとこない・・・。 実際に「私のしごと館」に行って、確認してみることをお勧めします。

公共哲学、社会政策

正直なところ、あの番組に出ていた「現役ニート」の人たちをどう擁護・批判すればいいのかについては、まだよくわからない。 というか、考えれば考えるほど、公共哲学や社会政策についての考究が必要であるように思う。 勉強が追いついてないです。 ▼気になったのは、渋谷にいた男性の「働かなければ逮捕されるとかだったら、働こうとは思いますけど」という声。 これ、現実化することはあり得るんだろうか。 現役弁護士の橋下徹氏は、ニート対策として「勾留のうえ、労役を科す*1と本気で提案しているが・・・。
「働いてる奴らはバカ」云々の挑発的態度はともかく、「意図的に働こうとしない態度や思想」は、「リバタリアン」などの思想的枠組みで検討できるのだろうか?





*1:この文言は、ご本人が書いた言葉そのまま。

「70万人もいたら日本は滅びるよね」(斎藤智成id:rahoraho氏)

 その、ニートが物言えぬベットの上で丸くなっている弱者だみたいな誤解は打ち砕く
 そんな香具師が70万人もいたら日本は滅びるよね

ひきこもりの実数については、疫学調査から、次のような数値が出ている。

 4県トータルの回収率は58.6%であった。 【中略】
 対象者本人およびその子どもに「ひきこもり」が存在することは,対象者が調査に同意するか否かに影響すると思われるので,これらの推定値は「低め」に見積もられたものといえる。

 今までの生涯における「ひきこもり」経験率は 1.18%(95%信頼区間0.57%〜1.80%)であった。 【中略】
 対象者の 2974 世帯中 20 世帯にそのような問題が存在し,その率は0.67%(95%信頼区間0.38%〜0.97%)であった。

社会学がご専門である井出草平id:iDES)氏にうかがったのだが、「41万 → 32万」という数字の変動は、必ずしも「数が減った」ということではないとのこと*1
「ご家族に、ひきこもっている方は居ますか?」というアンケート調査に、「はい、います」とは答えにくい。 調査結果はつねに「最低限の数値」と見るのが妥当だと思うのだが、いかがでしょうか。 ▼そして、数十万人単位で「どうしようもない状態」に陥った弱者が居るとして、それは公共圏では遺棄されるべきなのかどうか。――私はまだ、議論を整理している段階です。



*1:これについては、できればblog上などで解説を期待したい。